『きみの友だち』重松清

重松清の作品といえば、学生の頃はテストや模擬試験の小説問題でもよく見かけ、クラスメイトにも読んでいる人達が多かったようなイメージがあります。以前このサイトでも『エイジ』が紹介されていましたが、今回私は『きみの友だち』を紹介したいと思います。

 

本作は小学生の時交通事故で足を悪くした恵美を中心に彼女の小学校・中学校のクラスメイトや弟など、恵美と彼女に関わる人々が1章ずつ交代で主人公に置かれ、「きみ」という二人称を用いて第三者の視点から物語が描かれる連作長編です。

友だち、ってどんな人のことだろう?いつも一緒にいるから友だちなんだろうか?「クラスのみんな」は「友だち」なんだろうか?
事故をきっかけにクラスメイトと馴れ合わなくなった子、病弱で学校を休みがちな子、勉強もスポーツもこなすカリスマ的存在の子、逆に何をしても不器用な子、大人しくて控えめな子、転校前にいじめに遭っていた子――教室の中の様々に異なる立場の子が「友だち」とは何かについて向き合います。

二十歳を過ぎた今この作品を読むといかに「友だち」という存在が特別なものだったかを考えさせられました。今思えばクラスメイトとすごす時間は多くても3年かそこらで、クラス替えがあればたった1年しか同じ時を共有しないのです。学生生活が平穏であるために、互いが互いに適当にやり過ごせばいいものを、何故か私達は時に一人を仲間はずれにしたりグループを作ったりしながら、ただの「クラスメイト」でなく「友だち」であろうとする。それはどうしてだったのか、そもそも自分にとってどんな人が「友だち」なのか。大人になるにつれ仕事仲間や同僚は増えても、学生の頃のような「友だち」は増えにくくなります。そうなる前に、高校を卒業するまでに、一度はこの本を読んで「友」について考え、そして今の自分の教室内を見つめなおしてほしいです。

加えて見どころは子ども達の描写のリアルさです。調べるところによると、重松氏は今年で50歳。「きみの友だち」が発表されたのが2005年ですから、当時でも40歳は過ぎていたはずです。しかし作中の子ども達はみな、今中学校や小学校にいてもおかしくないような、クラスに一人はいるよねこういう奴、というような(少し失礼な言い方をすれば)学生時代を疾うに過ぎた人が書いたとは思えないほどリアル感溢れる10代の少年少女の姿です。そういった重松氏の若者描写の巧みさも本作の見所といえるでしょう。

『きみの友だち』
重松清 新潮社 2008年6月