J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」

“phony”

全世界で6000万部もの累計発行部数を記録している本作品。その原文にはこの単語が何回も登場します。日本語での意味は「インチキ(な)」。邦訳版の文中にはもちろん何度も「インチキ」という言葉が出てきます。
この物語はひとことで言えば一人の少年がひたすら、世の中に満ちた「インチキ」にケチをつけていくだけというストーリーなのです。

本書の主人公であるホールデンは下宿しながら高校に通う16歳の高校生。しかしクリスマス直前に学業不振で退学になってしまいます。そんなホールデンは寮を飛び出し、実家に帰るまでニューヨークを3日間放浪します。

この作品の大きな特徴の一つは口語体で書かれた文章であるという点です。主人公のホールデンが、自らの放浪の旅で経験した事柄を読者に語るという形で物語は進んで行きます。しかしその言葉の中には口汚いものも多く、旅のなかで出会う人々のことをこき下ろしてばかり。それゆえに物語にはこれといった筋はなく、起承転結というものが明確に存在するわけでもありません。ときには支離滅裂でめちゃくちゃな場面も存在します。名作小説を読むぞ、と意気込んでこの作品を手にとると少し驚いてしまうかもしれません。
しかしこの作品が名作たるゆえんは、文章の美しさでも、ストーリーの素晴らしさでも、結末の意外性でもなく、とにかく主人公に共感してしまう、という所です。
すこしでも「自分はひねくれている人間かもしれないな」という自覚のある人は、この本を読み終わるまでに何十回とホールデンに共感してしまうのではないでしょうか。

「兄さんは世の中に起こることが何もかもいやなんでしょ」
これは放浪の旅の終盤、ホールデンが妹のフィービーに言われた言葉であり、同時に物語を象徴する言葉でもあります。
この作品にはいわゆる“エキサイティング”なシーンも“ファンタスティック”なシーンも一切出てきません。ただ一人の“純粋無垢なひねくれもの”の少年が延々と“インチキ”に満ちた周囲に対する愚痴を述べていくだけです。すばらしい少年時代を過ごしてきた、あるいは過ごしている人にとってはこの本は退屈でいらいらするだけかもしれません。しかしそうではなく、社会や周りの人々に対して何かしらの不満を抱き続けてきたような人にとってはバイブルと言えるほどの愛読書になることでしょう。

60年以上も前に発表されていながら今もなおホールデンに共感する人々が後を絶たないという本作品、現在日本では野崎孝さんによるものと村上春樹さんによるものの二つの邦訳版が出ていますが、初めて読む場合は“定番”と言われている野崎さんの訳のものをお勧めします。
読み終わった後には村上さんの訳のものと読み比べたり、原文に挑戦してみたりするといいかもしれません。(中川)

『ライ麦畑でつかまえて』
著/J.D.サリンジャー 訳/野崎孝
白水社 1984年5月