星新一「殿さまの日」

 今回紹介するのは星新一の短編集「殿さまの日」です。前回は星新一の「おーいでてこーい」の紹介だったので立て続けに同じ作家の本の紹介になってしまって申し訳ないのですが、前回の紹介した「おーいでてこーい」が著者の人気の作品を収録した「これぞ星新一」と言う内容だったので、このページを見ている人の中には「もう知ってた」「読んだことある」と言う人も多くて、そのような人にとってはあまり参考にならない紹介になってしまったのではないかと後になって考えたのです。そこで、今回は既に星新一の本を読んだことのある人にも星新一の新たな魅力を知ってもらえる一冊を紹介したいと思います。

 

 この「殿さまの日」は収録されたすべてが江戸時代を舞台にした時代小説であり、宇宙や近未来を舞台にしたSFを書くことの多い著者の作品の中でも異色の作品集です。表題作「殿さまの日」はじめ、「ねずみ小僧次郎吉」「江戸から来た男」「薬草の栽培法」「元禄お犬さわぎ」「ああ吉良家の忠臣」「かたきの首」「厄よけ吉兵衛」「島からの三人」「道中すごろく」「藩医三大記」「紙の城」の合計十二編を収録しています。時代小説と言うとなんとなく堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、星新一は新しい視点で歴史的事実をとらえながら読みやすいユニークなものに仕上げています。その中からいくつかを紹介していきたいと思います。

 

 まず、表題作「殿さまの日」ですがこの小説は江戸時代のある大名の一日を精密に描いた作品です。この大名、つまり殿様ですが具体的な名称は出てこず、モデルとなっている人物もおそらくいないと思われます。いったいどの地方の殿様かも具体的には示されていません。つまり、「江戸時代にいたある大名の一人」という抽象的な存在として主人公の殿様を描いているのです。内容は殿様の平凡な一日を描いているのみであり、物語に大きな起伏はありません。普通の小説の殿様というのは農民をいじめる悪役だったり、弱きを助ける勇ましい名君であったりするものです。しかし、特にどういうことのない大きな事件が起こっていない時の普通の殿様の日常を描いた作品というのはあまりないのではないでしょうか。殿様自体の人物設定は曖昧ですが、殿様の普段の生活については非常に具体的に描写しています。殿様が朝の七時頃に起き、家来に着替えさせられ、毒見の済んだ朝食を食べる、といった風に実際にこの殿様がいたわけではないのだけれど、江戸時代の大名の生活を平均化したような、一般的な大名の生活がどのようなものであったかを正確に描いているのです。この小説はそんな普通では見ることのできない殿様の日常を時折殿様の回想場面をはさみながら描いています。殿様の日常を追っていくうちに殿様もまた人間であり、他の人間と同じように悩み苦しみながら生きているということが分かってくると思います。

 

「かたきの首」と「道中すごろく」は武士の仇討ちをテーマにした作品です。仇討ちというのは、直接の尊属(父母または兄)を殺害した者に復讐を行うという中世からの武士の慣習です。仇討ちを遂げることは武士にとって面目を保つために重要な意味を持ち、多くの仇討ちの逸話は美談化され、芝居や小説などの題材になっています。しかし、実際の仇討ちは、親の仇を討つために旅に出たがいいが全く居所がつかめず、金が尽き故郷にも帰れずに野垂れ死ぬといったことが殆どで、仇討ちに成功した例は稀だったそうです。「かたきの首」では星新一はあえて敵討ちをうまく果たすことのできないでいる武士にスポットを当てています。親の仇を討つ痛快さではなく、武士の慣習に縛られ、広い世界でたった一人の仇をひたすら探し続けるという武士の姿を一種の悲劇として描いているようにも感じられます。逆に「道中すごろく」はある藩の役人である赤松修吾の気楽な仇討ちの旅を描いています。修吾は父親を殺されてしまいますが、同時に父が生前密かにため込んでいた莫大な財産を発見します。金さえあれば世の中は何とでもなるということを知っている修吾は、各地に金をばらまきながら芸人や芸者を仲間に加え、各地を観光しながらのんびりと仇討ちをめざします。通常の仇討ち固定観念をぶち壊し、悠々と旅をする修吾の姿は「かたきの首」との落差もあり、非常に可笑しなものになっています。

星新一はSFのみならず、広い守備範囲を持つ作家です。「星新一の本はもう読み飽きた」という方も是非本書を手に取って、星新一の新たな魅力を発見してください。

(西蔭健作) 


 

『殿さまの日』

星新一

新潮社 198310月  *文庫版絶版