遠藤周作海と毒薬」

話はとある気胸を患っている男性が、町医者の勝呂医師と出会うところから始まります。町医者にしては優秀すぎるほどの腕に、不気味なほどぬくもりの感じられない手。勝呂氏を疑問に思った男性は過去の新聞記事から彼の素性を知ることになります。勝呂医師は戦時下に行われた生体実験の参加者でした。

戦争末期、医学生だった勝呂のいた病院では医学部長の座をめぐり権力闘争が起こっていました。闘争でやや劣勢だった勝呂の恩師・橋本は「点数稼ぎ」のため軍部と手を結び、外国人兵捕虜を使った生体解剖実験を行うことになります。軍の指令のままに実験を進める橋本、橋本の意とは異なる各々の考えを胸に実験に同行する医者や看護婦たち、そして良心の呵責を感じながらも実験を傍観する勝呂。それぞれの立場から生体実験への思い、そして罪への意識が描かれています。

 

みなさんは罪悪感を感じたことがあるでしょうか。子供の頃吐いた小さな嘘、ちょっとしたイタズラ、何でもいいのです。どうして罪悪感を感じたのでしょうか。あるいは、どうして何も感じなかったのでしょうか。

生体実験に参加した者の半数以上は特に罪の意識を感じなかった側の人間でした。なぜ彼らは人の命に係わる残忍な実験に参加したのに何とも思わなかったのか。

理由の一つに「当事者が自分だけでないこと」があげられます。自分だけのせいではない、だから自分は悪くないという他人への罪のなすりつけが無意識のうちにも起こるのです。これは今の社会にも当てはまることであり、例えば多くのいじめが1人対1人で起こっているわけではないことがあげられます。いじめられっ子に直接手を下す者、いじめっ子を手伝う者、端から見ている者、それぞれが当事者でありながら自分だけが当事者ではないことから、自分以上に罪の重い者を探し、自らの罪を棚上げにしてなかったことにしているのではないでしょうか。

さらに作中での生体実験は当時権力の頂点たる軍部がバックについています。強力な権力に強いられて行った実験ならば仕方ないから罪を感じなかった、という理由もあるでしょう。しかしここに軍部(=権力)が介入していなかったらどうでしょうか。結局人は自ら罪意識を抱えるのではなく、世間体を気にした「恥」の延長として罪を感じるのかもしれません。

もちろんこれらは単なる推論にすぎませんし、罪への意識は人それぞれです。自分はどう感じるだろうか、また自分が作中の実験に関わる立場だったらどうか。やや難しめの本ですが、読者たるみなさんそれぞれがその点について考え、自分なりの答えを模索しながらこの本を読んでほしいと思います。

(マツバラ)

『海と毒薬』遠藤周作

新潮文庫 19607