中沢けい『楽隊のうさぎ』

 

 学校にいる時間をなるべく短くしたいと考えていた引っ込み思案の中学生奥田克久。中学校に入った直後、勧誘を受けたがきっかけでなぜか吹奏楽部に入部することになる。今まで体験したことのない音楽の世界で戸惑いながらも、しだいに音楽の面白さに気づき、夢中になっていく。そして、同時に少年から大人の階段を上り始めるのであった。

 

 この「楽隊のうさぎ」の大筋は主人公克久が部活動を通じて成長していくという単純かつ明快なものですが、音楽について何も知らない克久が演奏する楽しさを覚えて夢中になっていく過程を描きながら、同時に日々成長していく主人公とそれをもどかしく見守る親との関係も書いています。

 この本の大きなキーワードとなるのは「部活動」と「親子」です。

まず、「部活動」についてですが、皆さんは今部活動をしていますか。私は学生時代に剣道部に所属していましたが、部活動というのは平凡なようで、実は非日常的要素を多く含んだものだと思います。実際に今部活動をしている人にとっては、日常生活に自然に部活動が組み込まれているわけで、特別なことをしているということを自覚しにくいものですが、例えば吹奏楽部のことは実際に吹奏楽部にいないと分からないし剣道部のことは剣道部にしかわかりません。私自身は吹奏楽のことなど全く知らずにこの本を読んだので吹奏楽部がまるで別世界のことのように感じましたが、剣道部に入ったことのない人(おそらくほとんどの人がそうだと思いますが)にとっての剣道部もそんなふうに感じるのではないかと思います。「顧問の先生は機嫌が悪いとこういう癖が出る」とか「この練習がきつい」、「○○高校の顧問はこんな人だ」などといった部分は部内の人にとっては当たり前に通じることでも部外の人間にとっては当たり前ではないのです。つまり、「部活動」という場は同じ価値観を共有しあう、ある意味それが自体が日常から隔離されたところに存在する独特の雰囲気に包まれた空間ではないかと私は考えます。この本の中では「部活動」という独特の空間がうまく描写されており、大きな魅力の一つになっています。

 

 この本の第二章「ベンちゃん登場」ではそのような部独特の雰囲気を感じることができます。この章は主人公克久が吹奏楽部に入ってからすぐの部活動の様子が描写されており、克久は部の雰囲気を掴んでいきながら自身も部の一部となっていく過程を書いています。一年生が入部し、楽器を各々振り分けていく中で、上級生たちは「素人の一年生にどう覚えさせようか」とか「大会には間に合うのか」などと大騒ぎし、「部長がやる気がない」などとブーイングする人もいる混沌とした状態です。また、章の題名にある「ベンちゃん」とは主人公の所属する吹奏楽部の顧問の先生のあだなであり、部員たちはひそかにそう呼んでいるのです。私はこの「年度初めに大騒ぎになる」とか「顧問を陰であだなで呼ぶ」というところに親近感やリアリティを感じます。もちろん、全ての学校の吹奏楽部がそうではないでしょうが、毎年新一年生の扱いに上級生が難儀していたり、陰で先生をちゃん付けで呼んでいたりする、そんな吹奏楽部が実在すると言われたら、なんとなくありそうな気がします。

 

もう一つのキーワードの「親子」についてですが、前回のレビューした「エイジ」でも書いたように中学生というのは大人と子どもの境目と言える時期であり、親と子との関係がぎくしゃくし始める時期でもあるのです。この本の主人公克久も例外ではなく、両親と克久の関係はかなりぎくしゃくしたものになっており、たびたび言い争いになります。特にこの本の主人公は中学生になってから、父親が単身赴任で家にいないことの方が多く、ほぼ母と二人きりで暮らしています。また、吹奏楽部に入ったことで母との関係も希薄になっていきます。中学生が授業を終えてから部活動する、特に主人公のように吹奏楽部という活動的な部に所属しているとなると帰宅する時間は遅くなるし、週末や長期休暇にも部活をやって、さらに朝練までするとなると家にいる時間はグッと少なくなります。そうなると母親と今日あったことを話すといったつながりが減っていくのです。しかし、主人公と母との間に溝ができた最も大きな原因は、主人公自身が吹奏楽部に入ったことで明確な目標を見つけ、一人の独立した人間として成長し始めたからだと思います。前の方で「部活動とは隔離された一つの空間である」ということを書きましたが、主人公は部活動と言う空間の中に居場所を見つけ、目標も持ったことで部の一部となっていきました。また、吹奏楽部の一員であることに誇りを持ち始めたのです。部外の生徒が吹奏楽部のことをあまり知らないように、主人公の両親も主人公がどのような雰囲気の中どのような価値観を持って楽器を演奏しているのか分からないのです。一番身近にいて、一番よく知っていたはずの子どものことがよく分からなくなっていく、子どもの成長は喜びだけでなく寂しさや葛藤も一緒につれてくるということに両親も気づくのです。

第四章「ブラス!ブラス!!ブラス!!!」では主人公の成長とその母親の寂しさと葛藤が描かれています。この章では、主人公は初めての地区大会に出場し、自分たちのレベルの低さを知り愕然とし、来るべき県大会へ向けてより一層練習に力を入れることを誓います。主人公が自分たちの実力なさを知ったことで、大きな成長を遂げるのですが、その急激な成長が主人公と母親のあいだに隔たりを生んでいることが県大会前の家での様子で読み取ることができます。

 

初めて会った恋人同士のような変な緊張感。

 

「こいつは生まれる前から知っているのに」とおかしくて仕方がなかった。

 

これは、主人公の吹奏楽部の県大会前日に、主人公とどんな会話をすればよいか戸惑う母の心情を現した描写です。生まれる前から知っているのに初めて会った恋人のように感じてしまうのは、主人公が成長したことで、まるで自分の知らない人になってしまったように感じているからであり、主人公の母のほんのりとした寂しさを感じ取ることができますす。

 

この本の主人公は中学生の克久ですが、主人公の母の視点も見逃せない魅力になっています。中学・高校生の皆さんはもちろん、大人が読んでも共感できる内容となっています。興味を持った人がいたら、ぜひ手に取ってみてください。

 

最後に、私が小説とどこで出会ったかと言うと、実はセンター試験の過去問の中です。普通、国語のテストで読んだ小説のことなど忘れてしまうものですが、なぜか文末に記載されている、小説の題名をずっと覚えていて、この本を購入するに至ったわけです。

センター試験も間近に迫り、受験生の人たちは小説なんて読んでいる暇はないでしょうが、このような思いがけないところにも本との出会いがあるということです。つい最近まで私を苦しめていた問題がお勧めの本になっていたというのもおかしな話ですが、このような出会いがあるから本は面白いのだと私は思っています。

 (西蔭健作)

 

『楽隊のうさぎ』

中沢けい 新潮社 200212