森見登美彦『恋文の技術』

みなさんは、「手紙」という物を書いたことがありますか?

もしかすると今10代くらいの年ごろの人には、ペンを使い、紙に書くような「手紙」は一度も書いたことが無い、という人も多いのではないでしょうか。

かくいう僕自身、きちんと手紙というものを書いた回数はおそらく二ケタにも満たないのではないかと思います。

多くの人が手紙を書かなくなった原因としてはもちろん、「携帯電話などの発達と普及、電子メールの浸透」などが挙げられます。従来の手紙より圧倒的に早く、楽なメールが手紙に取って代わったのも当然の流れだと言えるでしょう。

 

そんな中、少し前に、「最近の子供たちは、幼いころから大量にメールを打っているため、文章力が鍛えられている」というある専門家の方の言葉を聞きました。

果たしてそうでしょうか。僕はそうは思いません。

例えば、長い文章を書くことがマラソンを走るようなものだとするならば、メールを打つというのは10mかそこらの距離を小走りする程度のものだと思います(もちろん長くきちんとしたメールの場合は別かもしれませんが)。普段のメールなどでは、文章を書く力というものは鍛えられることはないように感じるのです。

 

前置きが長くなりましたが、今回僕が紹介する本は、森見登美彦著、「恋文の技術」です。

今や森見登美彦は人気作家として名高く、中でも代表作と言われる「夜は短し歩けよ乙女」や「四畳半神話大系」などは読んだことがあるという方も多いでしょう。彼の作品の特徴としてしばしば挙げられるのが「大学生の心情を巧みに描く」という点ですが、この「恋文の技術」にはその特徴の他にもう一つ、大きな特徴があります。それは本文のほぼ全てが、主人公によって書かれた誰かへの手紙である、という点です。

 

主人公である守田一郎は、クラゲ研究のために、京都から能登半島の付け根にある人里離れた実験所へと送り込まれた大学院生で、周囲は研究以外なにもすることがないという地獄のような環境。そのストレスと寂寥感を晴らすために、守田は友人・先輩・妹などへ手紙を書き始め、彼はそれを「文通武者修行」と名付けます。一通目の手紙が書かれた4月から、物語最後の手紙が書かれる11月までのおよそ7か月間の出来事は全て守田による手紙によってのみ語られます。ある種もっとも想像力が必要とされる形式の本作ですが、驚嘆せざるを得ないのは、登場人物の姿や情景をありありと描き出す森見氏の筆力です。あくまで守田による手紙の上でしか描かれないキャラクターたちが、どうにも愛おしく感じられるのです。守田の手紙を2,3通も読むころには「あぁ、これこそが『文章力』なのだな」と思い知らされることでしょう。この力は、短いメールのやりとりを何度行おうが決して身につくものではないと思います。全てが手紙であるにも関わらず、読むに全く飽きを感じさせないばかりか、あちこちに散りばめられたユーモアの数々には何度もニヤリとさせられてしまいます。

 

物語は、守田がそれまで手紙を出したくともどう書けばよいか分からないため出せずにいた、密かに恋心を寄せている女性への手紙で終わりを迎えるのですが、その分量はなんと30ページにも及びます。しかし、文通武者修行を経て、「どういう手紙が良い手紙か」という問いに対して一つの答えを見つけ、「恋文の技術」についてのある結論に達した守田による手紙は、なんとも可笑しく素敵なものになっています。そして、分かりやすいハッピーエンドが用意されているわけではありませんが、どんな幸せなエンディングよりもジィンとくる文章で物語は締めくくられます。

 

ある種、時代から逆行しているとも言える書簡体小説のこの作品、読むと手紙が書きたくなること間違いなしです。(中川)

 

『恋文の技術』

 森見登美彦 ポプラ社 20093