重松清「エイジ」

連続通り魔は同級生だった。

高橋エイジは東京郊外の桜ケ丘ニュータウンに住む「普通」の中学生。二年生の夏、エイジの住む町では連続通り魔事件が発生していた。犯人の犯行は次第にエスカレートし、とうとう捕まったその犯人の正体はクラスメイトだった。大々的にテレビや週刊誌に取り上げられ、周りが大騒ぎになっても、エイジは同級生が通り魔だったという事実を実感できないでいた。

「逮捕された同級生と自分の違いはなんだろうか?自分もいつかキレてしまうのだろうか?」

親との関係、親友とのいさかい、同級生の女子への恋に悩む中でエイジの心は揺れていく。

 

本書の著者である重松清は現代の家族をテーマにした作品を執筆しており、中でも思春期の少年、仕事や家族に悩む父親の目線から描いた小説が多く見られます。本作では中学二年生エイジの目線から、エイジの周りで起こった連続通り魔事件と並行しながら中学生の生活をリアルに描いています。

本書が出版されたのは1999年ですが、その2年前の1997年はあの酒鬼薔薇事件が発生した年です。有名な事件なのですでに知っているかもしれませんが、この事件は神戸市で起こった連続暴行殺人事件で、その凶悪性、そして何より中学二年生のまだ14歳の少年が犯人であったという点で全国的なニュースとなりました。この事件を機に14歳という年齢が「危険な年齢」と認知されるようになったように思います。本作は主人公とその同級生の通り魔が14歳ということからも酒鬼薔薇事件の影響を受けて書かれたと考えていいと思います。

 

本書のことから少し離れますが、今14歳の人はどんなことを考えながら暮らしているでしょうか。元々、14歳と言う年齢は人生において「大人と子どもの境目」と呼べる重要な時期です。子どもは14歳を境に物事の本質について考えだし、自分のやりたいことをやろうとする意志を持ち始めます。そのため、小説や漫画などの主人公が中学生というのはよくあるパターンです。しかし、実際の中学生というと小説や漫画の主人公のようにいかないのが現実です。物事の本質について考えてみても考えれば考えるほど袋小路にはまってしまい結局正解にたどりつかず、何かをやりたいという意思があっても行動に移せないというのがほとんどだと思います。「口先だけは一人前、でも能力がない、もどかしい。やりたいことはある、だけど他が忙しくてできない、時間がない、もどかしい」といった感じに漫画風の理想と厳しくつまらない現実とのギャップに苦しみ、もどかしさを感じているのが14歳ではないでしょうか。私が中学生の時も、特に自分から行動することなく受け身の生活をしていて特に変わったこともありませんでした。そんな中でふと「もしかしたら自分はこの世で最も情けのない中学生ではないか」と勝手に不安になっていたような気がします。本作の登場人物たちもそんな一般的な中学二年生と何も変わりません。

本書はそんな普通の中学生(もちろん普通の中学生だった人にも)にぜひ読んでほしい一冊です。連続通り魔事件の犯人が同級生だったら、普通の中学生は何を考え、どのような答えを出すだろうかということを、中学生の普段の生活を描写しつつリアルに描いています。また、作品内では中学生の使う若者言葉、例えば「うぜえ」「キレる」「マジ」などといった言葉が大量に使われていますが、不快な印象ではなく、中学生らしさを実感でき、より感情移入しながら読むことができるでしょう。そして、主人公を含めたクラスメイトが事件について様々な考えを語ります。ある男子は「絶対に許されることではない」と考え、ある男子は「人は生きている限り唐突に理不尽な悪意を向けられる可能性を持っている」とこの事件を事故のように考え、そしてある男子は「僕は犯人の気持ちがわかってしまうかもしれない」と考える。本書に登場する中学生の言葉は少し幼いけれど真っすぐで心に響くものがあり、読者も登場人物の近くにいるかのように共感できると思います。私自身は主人公エイジのクラスメイトのツカちゃんという登場人物に特に共感しました。ツカちゃんは見かけは不良風のクラスのお調子者で、事件が起こった当初は事件についてあれこれ騒ぎ立てて面白がっていました。しかし「同級生が犯人だった」という事実から通り魔事件が他人事ではなく「自分自身、あるいは家族がいつか通り魔に襲われるかもしれない」という危機感を感じると同時に、罪のない一般人が理不尽な悪意により傷つけられるということに怒りを感じ始めます。ツカちゃんは世の中には犯罪があふれていて、自分の力ではどうしようもないと分かっているけれど、どうしようもないからと受け入れることはできないと考えたのです。私はこの登場人物の直球な感想と葛藤に苦しむ姿からリアルな中学生を感じ、深く共感しました。

 

私自身はこの本を14歳のときにはじめて読み、二度目は成人してから読みましたが、最初に読んだ時には気づきにくかった点、エイジの担任の先生や両親の心境にも注目できました。エイジの母はエイジが「ヤバイ」「マジ」といった若者言葉を使ったり一人称で「オレ」と言うのを嫌い、いつもそのことについて文句を言っています。最初に読んだときには私は「口うるさい母親だ」と感じると同時に「どことなく偽善的な、嘘くさい家族だ」とも感じていましたが、今になって読み返してみると、この母は息子が自分から離れていくのがさびしいのかもしれない、子どもが成長していくのはうれしいはずなのに、自分の知らない人間になるのが嫌だという矛盾に見えないところで苦しんでいるかもしれないと想像し、エイジだけでなく両親もまた普通の大人なのだと考え方を変えました。この変化は最初に読んだ時私が中学生であり、感情移入する対象が登場人物の中でも主人公ら中学生に限られていたのが、少しずつ大人の登場人物にも共感できるようになったからだと思います。本を読んで「こころに響いた」「印象に残った」と感じたならぜひもう一度読むことを勧めます。高校に進学した時や成人した時、または子どもができた時など人生の節目に本書を読んでみるとまた違った読み方ができるのではないでしょうか。

 

中学生から大人までお勧めの一冊です。ぜひ手に取ってごらんになってください。

「エイジ」

重松清

朝日新聞社 19991