怪物はささやく

この物語には二人の著者がいます。

2006年に『A Swift Pure Cry』で鮮烈なデビューを果たし、その後児童文学を4作残しながらも早世したシヴォーン・ダウド。彼女の原案をもとに、カーネギー賞受賞作家でもあるパトリック・ネスが彼女からバトンを引き継いで作品化しました。

 

物語はある夜、13歳の主人公コナーのもとにイチイの木の姿をした怪物が現れるところからはじまります。最初は“いつものおそろしい夢”だと思っていたコナーも、それがどうも今回は違うということに気づきます。怪物は「わたしが三つの物語を語り終えたら、今度はおまえが四つ目の物語をわたしに話すのだ。おまえはかならず話す…そのためにこのわたしを呼んだのだから」と言います。

 

主人公も読者も、この時点では怪物の言っている意味がよくわかりません。物語を語る?そこに一体どんな意図があるのか?しかし物語が進むにつれて、怪物の存在や語られる物語、“いつものおそろしい夢”の正体がおぼろげながら徐々に見えはじめてきます。

 

怪物の語る3つの暗示に満ちた物語。それらは現実の世界での出来事にもリンクしていて、コナーはそこに自らの期待・願望をも込めるようになります。しかし突きつけられるのは残酷な現実…。納得のいかないまま、今度は自分が物語を語る番になります。4つ目の物語は必ず真実でないといけません。しかし、この4つ目の物語を語るコナーは悪戦苦闘します。自分では決して受け入れたくない真実、しかしその葛藤を必死に乗り越えようとするコナー。その成長の軌跡が儚くも美しい姿で描かれています。


重病に苦しむ母とアメリカで再婚相手の家族と暮らす父親。そんなコナーの置かれている家庭環境を背景に物語は進みます。学校ではいじめに合い、唯一の理解者であった幼なじみとはすれ違ってしまう…。やり場のない怒りや哀しみ。思春期特有の繊細な心の動きが、複雑に絡み合いながらも一つの真理に向かって突き進むストーリー展開は圧巻です。各所に散りばめられた、暗く、荒々しく、悲壮に満ちたモノトーンのイラストも、この作品の世界観を大いに引き立ててくれています。創作に一年を費やしたというジム・ケイの仕事もこの作品の大きな立役者です。

 

本の帯にもある『喪失と浄化の物語』という言葉がやはりピッタリの作品だと思います。ラストにある、哀しくも、しかし美しいシーンの秀逸さは、やはり各所に散りばめられた伏線がしっかりとクライマックスで噛み合うことによって成せる業だと思います。そしてそれがまたうまい具合に作品の余韻として、いつまでも心地よく尾を引いてくれる仕掛けにもなっているのではないかと思います。      (kawaguchi)


怪物はささやく

パトリック ネス著, シヴォーン ダウド原案  池田 真紀子訳

あすなろ書房 2011年11月