2013年

5月

02日

「狼と香辛料」

今回紹介するのは支倉凍砂著「狼と香辛料」です。この本はライトノベルと呼ばれるジャンルに属しています。

 

ライトノベルと言うジャンルはどこらからがライトノベルでどこから普通の小説なのかという明確な境界線はないのですが、一般的に「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している若者向けの小説」と言われ、1990年代ごろから確立され始めたジャンルです。

皆さんは今までライトノベルを読んだことはありますか。今の若い方はライトノベルに触れる機会が多く、何十冊とはいかなくても一冊や二冊読んでみたことがある人は多いと思いますが中には「表紙が恥ずかしい」や「現実とかけ離れためちゃくちゃな設定ばかりでついていけない」と考えて読んでいない人、または「稚拙な文章でイライラする」や「中身が全くない」などの理由で読むのをやめてしまった人もいるかもしれません。しかし、今回紹介する「狼と香辛料」はライトノベルの中でも物語の質が高く、なおかつ読みやすい部類に入ると思います。

 

「狼と香辛料」は中世ヨーロッパ風の世界を舞台にした、主人公のロレンスと豊作をつかさどる神と名乗る狼ホロの二人の旅を描いた作品です。ライトノベルというと神坂一の「スレイヤーズ」に代表されるような剣と魔法のファンタジーものや谷川流の「涼宮ハルヒの憂鬱」に代表されるような現代の学園を舞台にした日常生活にSF要素がはいった作品を想像しがちですが、この作品には超能力や魔法のような要素はあまりありません。

主人公のロレンスは荷馬車で各地を旅する行商人で、いつか自分自身の店を構えるのを夢見ながら旅と商売を続けています。あるとき、ロレンスは少女の姿をした賢狼ホロと出合い、成り行きで彼女の故郷である北の国へともに旅をすることになります。道中様々な騒動に巻き込まれながらも経験と機転で解決していき、二人の絆が深まっていきます。

 

この作品は2008年に第一期「狼と香辛料」、2009年に第二期「狼と香辛料Ⅱ」として二度アニメ化されていますが、私がこの作品を読むきっかけになったのはそのアニメを視聴したことです。派手さはありませんが普通のアニメにはない独特の大人びた雰囲気に当時高校生だった私は引き込まれてしまい、一期と二期の両方に見てしまいました。アニメを見た後は当然原作である小説のほうも読みたくなり、本屋に行って買おうかどうかと迷いましたが、当時受験を控えていたこともあり、「このまま買ってしまうと夢中になって読んで取り返しのつかないことになるだろう」と考え泣く泣く購入を見送ることにしました。それほど当時の私にとって「狼と香辛料」は衝撃的だったのです。一年後無事大学合格を果たした私はライトノベルの「狼と香辛料」を一巻から買って読み始めました。一巻を読み終えて私はさらにこの作品が好きになりました。

 

アニメ版は登場人物の心の内は描写されていませんでしたが、この小説は作者の目線から書かれており、登場人物の心情が文章を通じてわかるようになっており、心情が分かることでより登場人物に共感することができます。例えば主人公ロレンスの描写ですが、一巻の序盤にこのような文章が出てきます。

 

「ロレンスは空を見上げて、きれいな満月にため息をついた。最近ため息が多いと自覚をしてはいたが、食っていくためにがむしゃらに頑張ってきた反動なのか、ある程度余裕が出てきた最近はつい将来のことなどを考えてしまう。それに加え、頭の中が売掛債権や支払期限のことでいっぱいで、一刻でも早く次の町に行かなければと必死になっていた頃には思いもしなかったことが、よく頭の中を駆け巡っている。具体的にいえば、いままで知り合ってきた人達のことだ。たびたび行商で訪れる街で親しくなった商人達や、買い付けに行った先で仲良くなった村の人達。それに雪による足止めを食らったときに長逗留した宿で好きになった女中のことなどなど。要するに人恋しいと思うことが多くなったのだ。一年のほとんどを独り荷馬車の上で過ごす行商人にとって人恋しくなるのは職業病ともいえたが、それをロレンスが実感し始めたのは最近のことだ。それまで俺に限ってそんなことあるものかとうそぶいていた。しかし、一人で何日も馬と一緒に過ごしていると、馬が話しかけてきてくれればな、などと思ってしまうこともある。」

 

上の文章はロレンスがホロに出会う前にいままでの人生を回想している場面ですが、ロレンスの心情が非常に分かりやすく描写されています。ロレンスは行商人であり一年中各地を旅しています。そのため旅の道中一人でいることのほうが多く、そのことに寂しさ・人恋しさを感じていたのです。その後ホロと出会い、二人で旅をすることになるのですがそれがただの成り行きだけではなく、ロレンスが孤独な旅に寂しさを感じていたからだと考えることができるのです。

 

ライトノベルというジャンルが苦手な人でも、この作品を読めば考え方が変わるかもしれません。ぜひライトノベルが好きな方も苦手な方も本作を手に取ってみてください。

 

『狼と香辛料』

支倉凍砂 アスキーメディアワークス出版 2006年2月

 

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2013年

4月

02日

舞城王太郎著「熊の場所」

「小説とはいったい何か」

突然このような質問をされてもどう答えたらよいのか分からないと思いますが、ある作家が言うには「人生を描くものだ」とのことです。この答えがあっているかどうかは人それぞれの考えがあるので何とも言えませんが、個人的にはだいぶ的を射た答えではないかと思っています。いうまでもなく人生は一度きりであり、同じ人間が二回も三回も別の人生を生きることはできません。しかし、そうは分かっていても今の自分の人生に退屈し、他の人生を体験してみたいと感じる人は多いと思います。小説は通常では体験することのない第二第三の人生のようなものです。読者は主人公や登場人物に感情移入しながら現実とは違う人生を体感させる、小説にはそのような機能があるのではないでしょうか。今回は現実に退屈している人にとって刺激的な一冊を紹介します。

 

今回紹介するのは舞城王太郎著「熊の場所」です。舞城王太郎は2001年に『煙か土か食い物』で第十九回メフィスト賞を受賞しデビューした作家で、現在若者に人気のある作家のひとりです。舞城王太郎というペンネームを見て「変わったペンネームだな」と思った人もいるかもしれませんが、変わっているのはペンネームだけではありません。この作家は出身地と生年以外本名はおろか顔や性別まで謎に包まれた作家なのです。また舞城王太郎は2003年に「阿修羅ガール」で第十六回三島由紀夫賞を受賞しますが、その授賞式を欠席するという前代未聞の事件を起こしています。ネット上では舞城王太郎の正体について様々な憶測が流れていますが、結局その正体は明らかになっていないのです。

「熊の場所」は「熊の場所」「バット男」「ピコーン!」の三編の短編を収録しています。一編約60ページの長さで、三編合わせて200ページほどですが、一編一編の内容が濃く、かつ若者向けの文体で読みやすく飽きさせない内容になっています。

 

表題作「熊の場所」は主人公沢田宏之が、クラスメイトのまーくんこと田中正嗣が猫殺しの常習犯であることを知ってしまい、その後の二人の複雑な交流を描いた作品です。宏之はある時まーくんのランドセルの中から猫から切り取った尻尾が出てくるのを目撃してしまい、まーくんに対して例えようもない恐怖を抱き始めます。しかし、宏之は父が昔言った「恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐ戻らねばならない」という言葉を思い出し、逆にまーくんに近づくことを選択します。まーくんへの恐怖を消し去るべく、宏之はまーくんに接近し、二人は一緒に遊ぶ仲になるのですが、同時にまーくんが猫を殺しているという決定的な証拠も発見し、さらにまーくんが猫だけに飽き足らず宏之を殺そうと考えていることも知ってしまいます。

 

この作品は宏之が、最初まーくんの猟奇的で変態的な性癖に恐怖しながらもそれを克服し、次第にまーくんを常人を超越した特別な人間であると考えはじめるまで心の変化を描いています。近くに猟奇的な人物がいるという恐怖を逆にスリルとして楽しみ始める主人公宏之に感じながらも、「その気持ち、少しわかるかもしれない」と私は思ってしまいました。文体は軽く、少年の目線で書かれていますが、かなりグロテスク内容も含んでおり、そのギャップもこの作品の魅力となっています。

 

ここでは紹介しませんが、他の二作の内容も刺激的で、時にはグロテスクでエロティックな描写も多くあります。しかし、いったん読み始めるとその刺激的な世界の虜になってしまうことでしょう。興味を持った方は是非この本を手に取って刺激的な世界を体感してみてください。

 

「熊の場所」

舞城王太郎 講談社文庫 初版2002年

 

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2013年

3月

12日

「江戸川乱歩傑作選」

 今回紹介するのは推理小説家江戸川乱歩の短編集「江戸川乱歩傑作選」です。江戸川乱歩はかなり有名な作家なので知っている人も多いと思います。「江戸川乱歩傑作選」は筆者のデビュー作である「二銭銅貨」をはじめとする初期を代表する短編小説を収録しています。

 

 ところで皆さんは推理小説を読んだことはあるでしょうか。小説には恋愛小説や歴史小説など様々な分野がありますが、推理小説はその中でもかなり人気のあるジャンルといえます。現在、数多くの推理小説が出版され、時にはドラマ化してテレビ放送されたりします。多くの作家がありとあらゆるトリックを考え出しているため、新しいトリックを生み出すのが難しくなっており、ある小説家は「もし、密室殺人で新しいトリックを思いついた人がいたなら百万円払ってでもそれを買い取りたい」というぐらいで、つまり推理小説は日本で長年人々に好まれ続けて洗練されたジャンルの小説であるといえるのですが、ここまで発展した推理小説の礎を築いたのが江戸川乱歩なのです。江戸川乱歩は大正から昭和にかけて活躍した小説家です。当時日本の推理小説は外国の訳本が主でしたが、江戸川乱歩は西欧の推理小説をお手本にしつつ独創的な作品を作り出し出しました。

 

私は江戸川乱歩が有名な推理小説家であるというぐらいは知っていましたが、実際に作品を読んだことはありませんでした。昔私は推理小説になじみがなく、なんとなく堅苦しそうだという理由で読んでいませんでした。江戸川乱歩の作品に興味を持ったのは高校生の頃に読んだSF作家星新一がエッセイの中で江戸川乱歩の小説について語っていたことがきっかけでした。前回前々回と本を紹介したことからわかると思いますが、星新一は私の最も好きな作家のひとりです。星新一が子どもの頃、江戸川乱歩は少年探偵団シリーズに代表される多くの児童向けの小説を書いており、星新一は胸をときめかせながらそれを熱心に読んでいたと語っています。私自身は前にも書いた通り小学生のころから星新一の本を夢中になって読んでいた人間ですからそのエッセイを読んだとき「あの星新一が熱心に読んでいた江戸川乱歩の小説は一体どういったものなのだろうか」と興味を持ち、何か一冊読んでみようと手に取ったのがこの「江戸川乱歩傑作選」だったのです。今回はこの中のいくつかを紹介したいと思います。

 

「屋根裏の散歩者」はあるアパートを舞台にした殺人事件をテーマにしています。登場人物の郷田三郎は暇を持て余した若者でしたがあるとき自分の住んでいる部屋の押し入れで屋根裏へと通じる入口を発見し、その日から三郎の屋根裏の散歩が始まります。最初は同じアパートの他人の様子を見るだけだったのが好奇心を抑えられず、ある時アパートの隣人を殺害してしまいます。この「屋根裏の散歩者」は思うがまま屋根裏を跳梁する三郎の様子をリアルに描いています。江戸川乱歩は小説を灯りのない暗い部屋で書いていたという逸話が残っており、この「屋根裏の散歩者」もそういった暗闇での実体験をもとにしているのかもしれません。また、この小説には日本でも有名な架空の探偵である明智小五郎が登場します。物語の前半は屋根裏部屋を発見し殺人を犯すまでの三郎の様子、後半は明智小五郎の華麗な推理により三郎が遂に自白してしまう様子を描いており、まるで自分自身が明智小五郎に追い詰められているように感じてしまいます。

 

デビュー作「二銭銅貨」は、強盗犯が盗んだ大金のありかが書かれた暗号メモを発見した男が、その暗号を解き明かしていき、ついに大金のありかを突き止めるという内容です。暗号は推理小説には付き物ですがこの小説に出てくる暗号はかなり独特で、例えば

「南無弥陀仏、南無、南仏、南無」

といったお経のような暗号です。暗号の意味が分かった時、思わず手をたたきたくなるような痛快さがこの作品にはあります。上の例に挙げた暗号は作中の暗号の法則に従って私が作ったものなので意味を知りたい方は是非「二銭銅貨」を読んでみることをお勧めします。

 

私は最初軽い気持ちで、学校の朝の読書時間にこの本を読むことにしたのですが、十分間の読書時間が終わった後も続きが気になってしまい、授業と授業の合間や昼休みにもこの本を読み、家に帰ってからも読み続けました。数十年前の作品のはずなのに、あまり古さを感じさせず、またこの本を通じて数十年前に星新一が受けた感動を共有しているというのがうれしくて一気に最後まで読んでしまいました。レビューを読んで興味を持った人は是非手に取ってみてください。

(西蔭健作)

 

 

『江戸川乱歩傑作選』

江戸川乱歩 新潮社 1960年 1227

 

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2013年

2月

05日

星新一「殿さまの日」

 今回紹介するのは星新一の短編集「殿さまの日」です。前回は星新一の「おーいでてこーい」の紹介だったので立て続けに同じ作家の本の紹介になってしまって申し訳ないのですが、前回の紹介した「おーいでてこーい」が著者の人気の作品を収録した「これぞ星新一」と言う内容だったので、このページを見ている人の中には「もう知ってた」「読んだことある」と言う人も多くて、そのような人にとってはあまり参考にならない紹介になってしまったのではないかと後になって考えたのです。そこで、今回は既に星新一の本を読んだことのある人にも星新一の新たな魅力を知ってもらえる一冊を紹介したいと思います。

 

 この「殿さまの日」は収録されたすべてが江戸時代を舞台にした時代小説であり、宇宙や近未来を舞台にしたSFを書くことの多い著者の作品の中でも異色の作品集です。表題作「殿さまの日」はじめ、「ねずみ小僧次郎吉」「江戸から来た男」「薬草の栽培法」「元禄お犬さわぎ」「ああ吉良家の忠臣」「かたきの首」「厄よけ吉兵衛」「島からの三人」「道中すごろく」「藩医三大記」「紙の城」の合計十二編を収録しています。時代小説と言うとなんとなく堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、星新一は新しい視点で歴史的事実をとらえながら読みやすいユニークなものに仕上げています。その中からいくつかを紹介していきたいと思います。

 

 まず、表題作「殿さまの日」ですがこの小説は江戸時代のある大名の一日を精密に描いた作品です。この大名、つまり殿様ですが具体的な名称は出てこず、モデルとなっている人物もおそらくいないと思われます。いったいどの地方の殿様かも具体的には示されていません。つまり、「江戸時代にいたある大名の一人」という抽象的な存在として主人公の殿様を描いているのです。内容は殿様の平凡な一日を描いているのみであり、物語に大きな起伏はありません。普通の小説の殿様というのは農民をいじめる悪役だったり、弱きを助ける勇ましい名君であったりするものです。しかし、特にどういうことのない大きな事件が起こっていない時の普通の殿様の日常を描いた作品というのはあまりないのではないでしょうか。殿様自体の人物設定は曖昧ですが、殿様の普段の生活については非常に具体的に描写しています。殿様が朝の七時頃に起き、家来に着替えさせられ、毒見の済んだ朝食を食べる、といった風に実際にこの殿様がいたわけではないのだけれど、江戸時代の大名の生活を平均化したような、一般的な大名の生活がどのようなものであったかを正確に描いているのです。この小説はそんな普通では見ることのできない殿様の日常を時折殿様の回想場面をはさみながら描いています。殿様の日常を追っていくうちに殿様もまた人間であり、他の人間と同じように悩み苦しみながら生きているということが分かってくると思います。

 

「かたきの首」と「道中すごろく」は武士の仇討ちをテーマにした作品です。仇討ちというのは、直接の尊属(父母または兄)を殺害した者に復讐を行うという中世からの武士の慣習です。仇討ちを遂げることは武士にとって面目を保つために重要な意味を持ち、多くの仇討ちの逸話は美談化され、芝居や小説などの題材になっています。しかし、実際の仇討ちは、親の仇を討つために旅に出たがいいが全く居所がつかめず、金が尽き故郷にも帰れずに野垂れ死ぬといったことが殆どで、仇討ちに成功した例は稀だったそうです。「かたきの首」では星新一はあえて敵討ちをうまく果たすことのできないでいる武士にスポットを当てています。親の仇を討つ痛快さではなく、武士の慣習に縛られ、広い世界でたった一人の仇をひたすら探し続けるという武士の姿を一種の悲劇として描いているようにも感じられます。逆に「道中すごろく」はある藩の役人である赤松修吾の気楽な仇討ちの旅を描いています。修吾は父親を殺されてしまいますが、同時に父が生前密かにため込んでいた莫大な財産を発見します。金さえあれば世の中は何とでもなるということを知っている修吾は、各地に金をばらまきながら芸人や芸者を仲間に加え、各地を観光しながらのんびりと仇討ちをめざします。通常の仇討ち固定観念をぶち壊し、悠々と旅をする修吾の姿は「かたきの首」との落差もあり、非常に可笑しなものになっています。

星新一はSFのみならず、広い守備範囲を持つ作家です。「星新一の本はもう読み飽きた」という方も是非本書を手に取って、星新一の新たな魅力を発見してください。

(西蔭健作) 


 

『殿さまの日』

星新一

新潮社 198310月  *文庫版絶版

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2013年

1月

20日

星新一「おーいでてこーい」

今回紹介するのは星新一のショートショート集「おーいでてこーい」です。この作品を知らない人でも星新一については知っている、もしくは著者の他の作品を読んだことのある人もいるかもしれません。星新一は日本を代表するSF作家であり、日本でのSF小説発展に大きく貢献した人物で、ショートショートと呼ばれる十ページほどの短い小説の形態を生み出し、書いたショートショートの数は1042編にも上ります。本書「おーいでてこーい」には多くのショートショートから人気投票で選ばれた上位五編を含んだ十四編のショートショートが収録されています。

 

前回、前々回と紹介してきた本は二冊とも長編の小説でした。このホームページを見ている人の中には長い文章を読むのが苦手だという人もいたかもしれません。今回は紹介する「おーいでてこーい」は、普段小説を読むことのない人や長編小説を途中まで読んでも疲れて読むのをやめてしまうような人にピッタリの一冊です。ショートショートの魅力はその短さによるテンポの良さと、あっと驚くようなオチが用意されていることであり、さらに星新一の描くショートショートは専門である宇宙や近未来を舞台としたSFから昔話を意識した寓話めいたものまで幅広いのが特徴です。

 

本書収録の十四編から、表題作である「おーいでてこーい」を例として紹介します。これはある村に突然穴が出現するという話です。その穴は深く、「おーいでてこーい」等と大声を出しても跳ね返ってこず、石を投げてみても何の反応もない。人々はその穴をどうするか考えた結果、都会で出たごみを捨てるのに利用し始めるがある時空から「おーいでてこーい」と声がして石ころが一つ降ってくる……。作品はここで終わってしまいますが、その穴は未来とつながっていてこれから大量のごみが空から降ってくるというのが想像できるというわけです。この作品はたったの八ページしかなく、五分もあれば読むことができるので長い文章を読みたくない人でも飽きずに読むことができると思います。他の十三編の内容については落ちの全てをばらしかねないので控えますが、どの話も短くユーモア(時にはブラックな)にあふれた作品です。

 

私が著者の本に出会ったのは小学校四年生の時でした。当時の私は長めの小説を読むのが苦手で、最初の方だけ読んで途中で本を読むのをやめることがよくあり、本を読むのがあまり好きではありませんでした。しかし、著者のショートショートを初めて読んだとき、その短さと発想の面白さに衝撃を受け、学校の図書館にある著者の本をすべて読みつくしてしまいました。著者のショートショートのおかげでそれまで長くてつまらないだけだと思っていた小説を初めて面白いと思うことができ、それから色々な本を読むきっかけとなりました。「おーいでてこーい」は小学校の図書室の著者の本を読みつくした後で私が初めて買ったショートショート集です。この本が小説の読む楽しさを知ってもらうきっかけとなれば幸いです。

(西蔭健作)

『おーいでてこーい』 星新一

講談社青い鳥文庫 20013

 

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2012年

12月

04日

中沢けい『楽隊のうさぎ』

 

 学校にいる時間をなるべく短くしたいと考えていた引っ込み思案の中学生奥田克久。中学校に入った直後、勧誘を受けたがきっかけでなぜか吹奏楽部に入部することになる。今まで体験したことのない音楽の世界で戸惑いながらも、しだいに音楽の面白さに気づき、夢中になっていく。そして、同時に少年から大人の階段を上り始めるのであった。

 

 この「楽隊のうさぎ」の大筋は主人公克久が部活動を通じて成長していくという単純かつ明快なものですが、音楽について何も知らない克久が演奏する楽しさを覚えて夢中になっていく過程を描きながら、同時に日々成長していく主人公とそれをもどかしく見守る親との関係も書いています。

 この本の大きなキーワードとなるのは「部活動」と「親子」です。

まず、「部活動」についてですが、皆さんは今部活動をしていますか。私は学生時代に剣道部に所属していましたが、部活動というのは平凡なようで、実は非日常的要素を多く含んだものだと思います。実際に今部活動をしている人にとっては、日常生活に自然に部活動が組み込まれているわけで、特別なことをしているということを自覚しにくいものですが、例えば吹奏楽部のことは実際に吹奏楽部にいないと分からないし剣道部のことは剣道部にしかわかりません。私自身は吹奏楽のことなど全く知らずにこの本を読んだので吹奏楽部がまるで別世界のことのように感じましたが、剣道部に入ったことのない人(おそらくほとんどの人がそうだと思いますが)にとっての剣道部もそんなふうに感じるのではないかと思います。「顧問の先生は機嫌が悪いとこういう癖が出る」とか「この練習がきつい」、「○○高校の顧問はこんな人だ」などといった部分は部内の人にとっては当たり前に通じることでも部外の人間にとっては当たり前ではないのです。つまり、「部活動」という場は同じ価値観を共有しあう、ある意味それが自体が日常から隔離されたところに存在する独特の雰囲気に包まれた空間ではないかと私は考えます。この本の中では「部活動」という独特の空間がうまく描写されており、大きな魅力の一つになっています。

 

 この本の第二章「ベンちゃん登場」ではそのような部独特の雰囲気を感じることができます。この章は主人公克久が吹奏楽部に入ってからすぐの部活動の様子が描写されており、克久は部の雰囲気を掴んでいきながら自身も部の一部となっていく過程を書いています。一年生が入部し、楽器を各々振り分けていく中で、上級生たちは「素人の一年生にどう覚えさせようか」とか「大会には間に合うのか」などと大騒ぎし、「部長がやる気がない」などとブーイングする人もいる混沌とした状態です。また、章の題名にある「ベンちゃん」とは主人公の所属する吹奏楽部の顧問の先生のあだなであり、部員たちはひそかにそう呼んでいるのです。私はこの「年度初めに大騒ぎになる」とか「顧問を陰であだなで呼ぶ」というところに親近感やリアリティを感じます。もちろん、全ての学校の吹奏楽部がそうではないでしょうが、毎年新一年生の扱いに上級生が難儀していたり、陰で先生をちゃん付けで呼んでいたりする、そんな吹奏楽部が実在すると言われたら、なんとなくありそうな気がします。

 

もう一つのキーワードの「親子」についてですが、前回のレビューした「エイジ」でも書いたように中学生というのは大人と子どもの境目と言える時期であり、親と子との関係がぎくしゃくし始める時期でもあるのです。この本の主人公克久も例外ではなく、両親と克久の関係はかなりぎくしゃくしたものになっており、たびたび言い争いになります。特にこの本の主人公は中学生になってから、父親が単身赴任で家にいないことの方が多く、ほぼ母と二人きりで暮らしています。また、吹奏楽部に入ったことで母との関係も希薄になっていきます。中学生が授業を終えてから部活動する、特に主人公のように吹奏楽部という活動的な部に所属しているとなると帰宅する時間は遅くなるし、週末や長期休暇にも部活をやって、さらに朝練までするとなると家にいる時間はグッと少なくなります。そうなると母親と今日あったことを話すといったつながりが減っていくのです。しかし、主人公と母との間に溝ができた最も大きな原因は、主人公自身が吹奏楽部に入ったことで明確な目標を見つけ、一人の独立した人間として成長し始めたからだと思います。前の方で「部活動とは隔離された一つの空間である」ということを書きましたが、主人公は部活動と言う空間の中に居場所を見つけ、目標も持ったことで部の一部となっていきました。また、吹奏楽部の一員であることに誇りを持ち始めたのです。部外の生徒が吹奏楽部のことをあまり知らないように、主人公の両親も主人公がどのような雰囲気の中どのような価値観を持って楽器を演奏しているのか分からないのです。一番身近にいて、一番よく知っていたはずの子どものことがよく分からなくなっていく、子どもの成長は喜びだけでなく寂しさや葛藤も一緒につれてくるということに両親も気づくのです。

第四章「ブラス!ブラス!!ブラス!!!」では主人公の成長とその母親の寂しさと葛藤が描かれています。この章では、主人公は初めての地区大会に出場し、自分たちのレベルの低さを知り愕然とし、来るべき県大会へ向けてより一層練習に力を入れることを誓います。主人公が自分たちの実力なさを知ったことで、大きな成長を遂げるのですが、その急激な成長が主人公と母親のあいだに隔たりを生んでいることが県大会前の家での様子で読み取ることができます。

 

初めて会った恋人同士のような変な緊張感。

 

「こいつは生まれる前から知っているのに」とおかしくて仕方がなかった。

 

これは、主人公の吹奏楽部の県大会前日に、主人公とどんな会話をすればよいか戸惑う母の心情を現した描写です。生まれる前から知っているのに初めて会った恋人のように感じてしまうのは、主人公が成長したことで、まるで自分の知らない人になってしまったように感じているからであり、主人公の母のほんのりとした寂しさを感じ取ることができますす。

 

この本の主人公は中学生の克久ですが、主人公の母の視点も見逃せない魅力になっています。中学・高校生の皆さんはもちろん、大人が読んでも共感できる内容となっています。興味を持った人がいたら、ぜひ手に取ってみてください。

 

最後に、私が小説とどこで出会ったかと言うと、実はセンター試験の過去問の中です。普通、国語のテストで読んだ小説のことなど忘れてしまうものですが、なぜか文末に記載されている、小説の題名をずっと覚えていて、この本を購入するに至ったわけです。

センター試験も間近に迫り、受験生の人たちは小説なんて読んでいる暇はないでしょうが、このような思いがけないところにも本との出会いがあるということです。つい最近まで私を苦しめていた問題がお勧めの本になっていたというのもおかしな話ですが、このような出会いがあるから本は面白いのだと私は思っています。

 (西蔭健作)

 

『楽隊のうさぎ』

中沢けい 新潮社 200212

 

 

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2012年

11月

02日

重松清「エイジ」

連続通り魔は同級生だった。

高橋エイジは東京郊外の桜ケ丘ニュータウンに住む「普通」の中学生。二年生の夏、エイジの住む町では連続通り魔事件が発生していた。犯人の犯行は次第にエスカレートし、とうとう捕まったその犯人の正体はクラスメイトだった。大々的にテレビや週刊誌に取り上げられ、周りが大騒ぎになっても、エイジは同級生が通り魔だったという事実を実感できないでいた。

「逮捕された同級生と自分の違いはなんだろうか?自分もいつかキレてしまうのだろうか?」

親との関係、親友とのいさかい、同級生の女子への恋に悩む中でエイジの心は揺れていく。

 

本書の著者である重松清は現代の家族をテーマにした作品を執筆しており、中でも思春期の少年、仕事や家族に悩む父親の目線から描いた小説が多く見られます。本作では中学二年生エイジの目線から、エイジの周りで起こった連続通り魔事件と並行しながら中学生の生活をリアルに描いています。

本書が出版されたのは1999年ですが、その2年前の1997年はあの酒鬼薔薇事件が発生した年です。有名な事件なのですでに知っているかもしれませんが、この事件は神戸市で起こった連続暴行殺人事件で、その凶悪性、そして何より中学二年生のまだ14歳の少年が犯人であったという点で全国的なニュースとなりました。この事件を機に14歳という年齢が「危険な年齢」と認知されるようになったように思います。本作は主人公とその同級生の通り魔が14歳ということからも酒鬼薔薇事件の影響を受けて書かれたと考えていいと思います。

 

本書のことから少し離れますが、今14歳の人はどんなことを考えながら暮らしているでしょうか。元々、14歳と言う年齢は人生において「大人と子どもの境目」と呼べる重要な時期です。子どもは14歳を境に物事の本質について考えだし、自分のやりたいことをやろうとする意志を持ち始めます。そのため、小説や漫画などの主人公が中学生というのはよくあるパターンです。しかし、実際の中学生というと小説や漫画の主人公のようにいかないのが現実です。物事の本質について考えてみても考えれば考えるほど袋小路にはまってしまい結局正解にたどりつかず、何かをやりたいという意思があっても行動に移せないというのがほとんどだと思います。「口先だけは一人前、でも能力がない、もどかしい。やりたいことはある、だけど他が忙しくてできない、時間がない、もどかしい」といった感じに漫画風の理想と厳しくつまらない現実とのギャップに苦しみ、もどかしさを感じているのが14歳ではないでしょうか。私が中学生の時も、特に自分から行動することなく受け身の生活をしていて特に変わったこともありませんでした。そんな中でふと「もしかしたら自分はこの世で最も情けのない中学生ではないか」と勝手に不安になっていたような気がします。本作の登場人物たちもそんな一般的な中学二年生と何も変わりません。

本書はそんな普通の中学生(もちろん普通の中学生だった人にも)にぜひ読んでほしい一冊です。連続通り魔事件の犯人が同級生だったら、普通の中学生は何を考え、どのような答えを出すだろうかということを、中学生の普段の生活を描写しつつリアルに描いています。また、作品内では中学生の使う若者言葉、例えば「うぜえ」「キレる」「マジ」などといった言葉が大量に使われていますが、不快な印象ではなく、中学生らしさを実感でき、より感情移入しながら読むことができるでしょう。そして、主人公を含めたクラスメイトが事件について様々な考えを語ります。ある男子は「絶対に許されることではない」と考え、ある男子は「人は生きている限り唐突に理不尽な悪意を向けられる可能性を持っている」とこの事件を事故のように考え、そしてある男子は「僕は犯人の気持ちがわかってしまうかもしれない」と考える。本書に登場する中学生の言葉は少し幼いけれど真っすぐで心に響くものがあり、読者も登場人物の近くにいるかのように共感できると思います。私自身は主人公エイジのクラスメイトのツカちゃんという登場人物に特に共感しました。ツカちゃんは見かけは不良風のクラスのお調子者で、事件が起こった当初は事件についてあれこれ騒ぎ立てて面白がっていました。しかし「同級生が犯人だった」という事実から通り魔事件が他人事ではなく「自分自身、あるいは家族がいつか通り魔に襲われるかもしれない」という危機感を感じると同時に、罪のない一般人が理不尽な悪意により傷つけられるということに怒りを感じ始めます。ツカちゃんは世の中には犯罪があふれていて、自分の力ではどうしようもないと分かっているけれど、どうしようもないからと受け入れることはできないと考えたのです。私はこの登場人物の直球な感想と葛藤に苦しむ姿からリアルな中学生を感じ、深く共感しました。

 

私自身はこの本を14歳のときにはじめて読み、二度目は成人してから読みましたが、最初に読んだ時には気づきにくかった点、エイジの担任の先生や両親の心境にも注目できました。エイジの母はエイジが「ヤバイ」「マジ」といった若者言葉を使ったり一人称で「オレ」と言うのを嫌い、いつもそのことについて文句を言っています。最初に読んだときには私は「口うるさい母親だ」と感じると同時に「どことなく偽善的な、嘘くさい家族だ」とも感じていましたが、今になって読み返してみると、この母は息子が自分から離れていくのがさびしいのかもしれない、子どもが成長していくのはうれしいはずなのに、自分の知らない人間になるのが嫌だという矛盾に見えないところで苦しんでいるかもしれないと想像し、エイジだけでなく両親もまた普通の大人なのだと考え方を変えました。この変化は最初に読んだ時私が中学生であり、感情移入する対象が登場人物の中でも主人公ら中学生に限られていたのが、少しずつ大人の登場人物にも共感できるようになったからだと思います。本を読んで「こころに響いた」「印象に残った」と感じたならぜひもう一度読むことを勧めます。高校に進学した時や成人した時、または子どもができた時など人生の節目に本書を読んでみるとまた違った読み方ができるのではないでしょうか。

 

中学生から大人までお勧めの一冊です。ぜひ手に取ってごらんになってください。

「エイジ」

重松清

朝日新聞社 19991

 

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