2013年

5月

21日

辻村深月「冷たい校舎の時は止まる」

第31回メフィスト賞受賞作であるこの作品。「冷たい校舎の時は止まる」というタイトルの示す通り、しんしんと雪が降る、凍てつくような寒さの冬の高校が舞台となっています。


いつも通りに登校した8人の高校生。しかし、次第に何かがおかしいことに気づく。開かない扉、無人の教室、5時33分で止まった時計……凍てつく校舎の中に閉じ込められてしまった彼らはどうすれば校舎の外に出ることができるのだろうか。みんなが悩む中、ふと2ヶ月前の学園祭の最中に自殺した同級生がいたことを思い出す。しかし、不思議なことにその人物の顔と名前が誰かに奪われたように8人の記憶からすっぽりと抜け落ちてしまっている。その人物は一体誰なのか、どうして学校に閉じ込められてしまったのか……

自殺者はこの8人の中の誰かだ―――

上記のようなあらすじで展開していき、いわゆる「ミステリー」にカテゴライズされるこの作品。じわじわと迫りくる恐怖や衝撃のラストもさることながら、大きな特長の一つとして挙げられるのは魅力的な登場人物です。自分に厳しく、他人に一切の弱さを見せないクールビューティー「桐野景子」。勉強にスポーツ、そして教師生徒を問わず誰もが一目置くカリスマ性を持つなんでもござれのスーパー高校生「鷹野博嗣」など、色とりどりの個性を持つ男子4人、女子4人からなる主要登場人物8人は県下でも有数の進学校に通う成績優秀な秀才グループで、そのフレッシュな気力と体力と知力で大抵の困難は解決できるかのように思えます。しかし、ストーリーが展開し、それぞれのキャラクターがゆっくりと肉付けされていく過程で、登場人物みんなが目に見えないところで悩みを抱えてもがいていることが分かり、登場人物の誰か一人にはものすごく共感してしまうこと必至です個人の感想としては、全国トップクラスの成績と誰もが舌を巻く画力を持つ天才「清水あやめ」が抱える、自分の才能の無さを嘆き、本物の天才とは何か、といった悩みやついつい悲観的に物事を捉えてしまうこのキャラクターにグッときてしまい、深く共感しながら物語を読み進めていった記憶があります。

上・下巻合わせて1100ページ以上となる読み応えたっぷりのこの作品。登場人物の一挙手一投足や揺れ動く感情に共感し、不意打ち気味に発生する不気味な現象に戦慄し、衝撃の結末にあっと驚く……切ないエピソードや誰もが抱えている悩み、スリリングな展開と言った若者の求める諸要素がふんだんに詰め込まれた、まさにティーンズが読むべき一作、それが「冷たい校舎の時は止まる」です。


『冷たい校舎の時は止まる』

辻村深月 2004年6月 講談社

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2013年

5月

16日

『きみの友だち』重松清

重松清の作品といえば、学生の頃はテストや模擬試験の小説問題でもよく見かけ、クラスメイトにも読んでいる人達が多かったようなイメージがあります。以前このサイトでも『エイジ』が紹介されていましたが、今回私は『きみの友だち』を紹介したいと思います。

 

本作は小学生の時交通事故で足を悪くした恵美を中心に彼女の小学校・中学校のクラスメイトや弟など、恵美と彼女に関わる人々が1章ずつ交代で主人公に置かれ、「きみ」という二人称を用いて第三者の視点から物語が描かれる連作長編です。

友だち、ってどんな人のことだろう?いつも一緒にいるから友だちなんだろうか?「クラスのみんな」は「友だち」なんだろうか?
事故をきっかけにクラスメイトと馴れ合わなくなった子、病弱で学校を休みがちな子、勉強もスポーツもこなすカリスマ的存在の子、逆に何をしても不器用な子、大人しくて控えめな子、転校前にいじめに遭っていた子――教室の中の様々に異なる立場の子が「友だち」とは何かについて向き合います。

二十歳を過ぎた今この作品を読むといかに「友だち」という存在が特別なものだったかを考えさせられました。今思えばクラスメイトとすごす時間は多くても3年かそこらで、クラス替えがあればたった1年しか同じ時を共有しないのです。学生生活が平穏であるために、互いが互いに適当にやり過ごせばいいものを、何故か私達は時に一人を仲間はずれにしたりグループを作ったりしながら、ただの「クラスメイト」でなく「友だち」であろうとする。それはどうしてだったのか、そもそも自分にとってどんな人が「友だち」なのか。大人になるにつれ仕事仲間や同僚は増えても、学生の頃のような「友だち」は増えにくくなります。そうなる前に、高校を卒業するまでに、一度はこの本を読んで「友」について考え、そして今の自分の教室内を見つめなおしてほしいです。

加えて見どころは子ども達の描写のリアルさです。調べるところによると、重松氏は今年で50歳。「きみの友だち」が発表されたのが2005年ですから、当時でも40歳は過ぎていたはずです。しかし作中の子ども達はみな、今中学校や小学校にいてもおかしくないような、クラスに一人はいるよねこういう奴、というような(少し失礼な言い方をすれば)学生時代を疾うに過ぎた人が書いたとは思えないほどリアル感溢れる10代の少年少女の姿です。そういった重松氏の若者描写の巧みさも本作の見所といえるでしょう。

『きみの友だち』
重松清 新潮社 2008年6月

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2013年

4月

23日

湯本 香樹実「夏の庭―The Friends 」

子ども~10代向けの本のレビューサイトの書評であるのに、今までは単に最近自分が読んだ本の紹介でしかなかったことに気付いたので、たまには自分が中学生の頃読んだ本を紹介したいと思います。

「夏の庭」は小学6年生の『ぼく』・山下・河辺の3人の少年と1人のおじいさんの交流を描いた物語です。山下が祖母の葬儀に出たことをきっかけに「人が死ぬ瞬間を見てみたい」と思った3人の少年は、町内で一人暮らしをしている今にも死にそうなおじいさんの家を「観察」しはじめます。しかしなかなか死なないおじいさん。やがて「観察」のことはおじいさんにばれ、3人は最初に怒られこそすれど、いつしか少年たちの一方的な「観察」は次第におじいさんと少年たち双方の交流へと変わっていくのでした。

この物語のテーマはずばり「死とは何か」です。しかしその問いに対する明確な答えが作中で示されているわけではありません。むしろ死とは何かが定義づけされないからこそ、少年たちの視点を通して読者たる私たちそれぞれが死とは何かについて個別の解釈を導き出すことができるのです。その点で物語のテーマは「死とは何か」というよりも「死とは何かについて考えること」と言ったほうが正確かもしれません。
先述のあらすじを踏まえれば最終的に少年たちとおじいさんに死別の時が来ることはある程度想像できるでしょう。確かに、おじいさんは最終的に亡くなってしまいますが、だからといって「おじいさんと男の子たちが絆を深めて死んで別れて感動ね」というだけで終わらないのがこの作品のいい点です。というより、それだけで終わってほしくないという私の願望かもしれませんが。中学生や高校生になると文字数が多くてちょっと難しい本を読むことにも次第に慣れてくると思います。そうなると結末ばかりを気にして、本を読むことで自分の考察を深めるということがおろそかになりがちです。

『死ぬということは息をしなくなることだと思っていたけれど、それは違う。生きているのは、息をしているってことだけじゃない。それは絶対に違うはずだ』
作中の「ぼく」の言葉です。最初は単に人が死ぬ瞬間を見たいという好奇心だけであった少年が、物語を通して少しずつ死ぬこと、そして生きることに対して考えを深めていくこのシーンが印象的です。中高生というのは、大人よりも固定概念にとらわれない柔軟な発想のできる時期だと思います。だからこそ、この「ぼく」の視点を通して死ぬとは何か、逆に生きるとは何か、という点について考え、『考察しながら読み進める』読書を身に着けるきっかけにしてほしいと思います。
そういう点で中高生のみなさんに読んでほしい本です。

『夏の庭-The Friends』
湯本香樹実

新潮社 1994年3月

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2013年

4月

15日

井上ひさし『吉里吉里人』

時代は1970年ごろ。日本政府に嫌気がさした東北のとある村が日本からの独立を宣言する。その名は吉里吉里村。人口は5000人にも満たないほどの小さな村。ズーズー弁によく似た吉里吉里語による独立宣言はとても本気のものだとは思えない。しかしどうやら吉里吉里人たちはいたって大真面目に日本国からの独立を果たそうとしているようだ。とはいえあくまで田舎のさびれた一つの村が一国として独立などできるはずがない。事態の収束も時間の問題だろうと誰もが考えた。が、一向に独立騒動は収まらない。むしろその独立が徐々に現実味を帯び始める。
というのがこの物語のあらすじです。

この小説は一般にユーモア小説と称されることが多い作品です。もちろん今述べたあらすじの表面だけをなぞってみればたしかに荒唐無稽なように感じるかもしれませんし、本文中には何か所もくすっと笑わされるようなところがあります。そういった点を捉えて見れば確かにユーモア小説と呼んでも間違いではないでしょう。しかしこの小説の本当に優れている点はそういった部分ではありません。
この小説の最大の特長はその圧倒的な情報量とリアリティなのです。

小説内では吉里吉里村ならぬ吉里吉里国に関する描写がこれでもかというほど細かいところまでなされています。例えば物語序盤に登場する吉里吉里語修得のための小冊子はその内容が克明に記されており、さながら実際の語学書のようです。
小説を読み進めていき、吉里吉里国についてどんどん詳しくなるにつれてまるでこの国が実在するかのように思えてくるでしょう。
また、吉里吉里国が日本からの独立を果たすために抱えていたいくつもの切り札的作戦はいたって現実的かつ効果的なものばかりで強い説得力を感じさせるだけでなく、反面どれも日本社会の問題点を鋭く示唆するようなものにもなっていて現代でも続くそれらの問題について考えるきっかけを与えてくれます。
そんなすさまじい設定の数々と説得力ある迫真性に支えられながら繰り広げられる、ある種の壮大な思考実験とも言える本作は、誰もが唖然とするであろうエンディングに至るまで軽やかに、かつ重層的に展開され続けていきます。
文庫本にして三冊にも渡る大作ですが、作中で経過している時間はたったの2日だけ。読み終えるころには改めてこの作品の濃密さを思い知らされることでしょう。

ちょうど4月20日から神奈川県にある神奈川近代文学館展示室で井上ひさし展が開かれるようです。この展示は6月9日まで行われるそうなので、井上ひさし作品に興味を持った方はそちらにも足を運んでみてはいかがでしょうか。

『吉里吉里人』

井上ひさし 
新潮社 1985年9月

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2013年

4月

02日

舞城王太郎著「熊の場所」

「小説とはいったい何か」

突然このような質問をされてもどう答えたらよいのか分からないと思いますが、ある作家が言うには「人生を描くものだ」とのことです。この答えがあっているかどうかは人それぞれの考えがあるので何とも言えませんが、個人的にはだいぶ的を射た答えではないかと思っています。いうまでもなく人生は一度きりであり、同じ人間が二回も三回も別の人生を生きることはできません。しかし、そうは分かっていても今の自分の人生に退屈し、他の人生を体験してみたいと感じる人は多いと思います。小説は通常では体験することのない第二第三の人生のようなものです。読者は主人公や登場人物に感情移入しながら現実とは違う人生を体感させる、小説にはそのような機能があるのではないでしょうか。今回は現実に退屈している人にとって刺激的な一冊を紹介します。

 

今回紹介するのは舞城王太郎著「熊の場所」です。舞城王太郎は2001年に『煙か土か食い物』で第十九回メフィスト賞を受賞しデビューした作家で、現在若者に人気のある作家のひとりです。舞城王太郎というペンネームを見て「変わったペンネームだな」と思った人もいるかもしれませんが、変わっているのはペンネームだけではありません。この作家は出身地と生年以外本名はおろか顔や性別まで謎に包まれた作家なのです。また舞城王太郎は2003年に「阿修羅ガール」で第十六回三島由紀夫賞を受賞しますが、その授賞式を欠席するという前代未聞の事件を起こしています。ネット上では舞城王太郎の正体について様々な憶測が流れていますが、結局その正体は明らかになっていないのです。

「熊の場所」は「熊の場所」「バット男」「ピコーン!」の三編の短編を収録しています。一編約60ページの長さで、三編合わせて200ページほどですが、一編一編の内容が濃く、かつ若者向けの文体で読みやすく飽きさせない内容になっています。

 

表題作「熊の場所」は主人公沢田宏之が、クラスメイトのまーくんこと田中正嗣が猫殺しの常習犯であることを知ってしまい、その後の二人の複雑な交流を描いた作品です。宏之はある時まーくんのランドセルの中から猫から切り取った尻尾が出てくるのを目撃してしまい、まーくんに対して例えようもない恐怖を抱き始めます。しかし、宏之は父が昔言った「恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐ戻らねばならない」という言葉を思い出し、逆にまーくんに近づくことを選択します。まーくんへの恐怖を消し去るべく、宏之はまーくんに接近し、二人は一緒に遊ぶ仲になるのですが、同時にまーくんが猫を殺しているという決定的な証拠も発見し、さらにまーくんが猫だけに飽き足らず宏之を殺そうと考えていることも知ってしまいます。

 

この作品は宏之が、最初まーくんの猟奇的で変態的な性癖に恐怖しながらもそれを克服し、次第にまーくんを常人を超越した特別な人間であると考えはじめるまで心の変化を描いています。近くに猟奇的な人物がいるという恐怖を逆にスリルとして楽しみ始める主人公宏之に感じながらも、「その気持ち、少しわかるかもしれない」と私は思ってしまいました。文体は軽く、少年の目線で書かれていますが、かなりグロテスク内容も含んでおり、そのギャップもこの作品の魅力となっています。

 

ここでは紹介しませんが、他の二作の内容も刺激的で、時にはグロテスクでエロティックな描写も多くあります。しかし、いったん読み始めるとその刺激的な世界の虜になってしまうことでしょう。興味を持った方は是非この本を手に取って刺激的な世界を体感してみてください。

 

「熊の場所」

舞城王太郎 講談社文庫 初版2002年

 

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2013年

3月

18日

川上弘美『神様』

川上弘美のデビュー作であり本のタイトルにもなった『神様』を含む9つの作品が収録された短編集です。

 

川上弘美の作品といえば以前『センセイの鞄』という2人の男女の日常を描いた話を読んだことがあるのですが、『神様』も主人公の「わたし」の日常を描いています。しかし『神様』における日常は我々読者が普段目にし体験する日常とは少し異なっています。

 

 「くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。」

 第1篇『神様』の冒頭です。あたかもそこに何の違和もないような風に人間たる「わたし」がくまと会話をし共に散歩に出かける様子が書かれています。また他の8篇においても、梨の妖精を飼ってみる(『夏休み』)、人魚に魅了される(『離さない』)、亡くなった叔父と会話をする(『花野』)、といったように現実世界ではありえない「日常」が描かれています。文庫版の裏表紙には「不思議な<生き物>たちとのふれあいと別れ」という表現が用いられていますが、亡者もいるので生き物と括ってしまうよりは「(不思議な)普通ならざるものたち」と言ったほうがより正確かもしれません。

 

話の一つ一つを読み終えた時には、和んだり、ぞっとしたり、少し切なくなったりと多彩な印象を受けます。文体は全体を通して淡々と柔らかい感じですが、時折下ネタが混ざってくるのがまたユニークです。


私のお勧めはやはり第1篇の『神様』。あらすじは先述のとおり熊と「わたし」が川原に散歩に出てランチを食べ帰ってくるというものです。それだけでも不思議なのですが、それ以上に不思議なのがこの『神様』というタイトルです。他の8篇に関してはその内容に関連したキーワードや場所、時期などが題になっていますが、『神様』だけは「神様」を連想させるものはなく、文中にも「神様」という単語は1度きりしか出てきません。何故この短編のタイトルは『神様』で、書籍そのもののタイトルにさえなったのでしょうか。

 

実をいうとその答えは第9編『草上の昼食』まで読むとなんとなくわかる、と思います(個人の解釈にもよるのではっきりとは言えませんが)。一度最後まで読んだうえでまた第1篇から読み直してみると、また初回とは違う観点から物語を読めるかもしれません。またこの『神様』に関しては、アフターストーリー的位置の『神様 2011』という本も発行されているらしいので、併せて読むことをオススメします。

 

悪い言い方をすれば、テーマはない。我々読者の心に大きな何かを主張してくるような本ではありませんが、淡くもほっこりと描かれる非日常的日常は読了後読者に抽象的ながらも確実にインパクトを残してくれます。

とにかく読みながら全てが夢のように感じられる、今の時期の春のうららかさに身を任せながら読みたい1冊です。 

(マツバラ)

               

『神様』川上弘美

中央公論新社 200110

 

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2013年

3月

12日

「江戸川乱歩傑作選」

 今回紹介するのは推理小説家江戸川乱歩の短編集「江戸川乱歩傑作選」です。江戸川乱歩はかなり有名な作家なので知っている人も多いと思います。「江戸川乱歩傑作選」は筆者のデビュー作である「二銭銅貨」をはじめとする初期を代表する短編小説を収録しています。

 

 ところで皆さんは推理小説を読んだことはあるでしょうか。小説には恋愛小説や歴史小説など様々な分野がありますが、推理小説はその中でもかなり人気のあるジャンルといえます。現在、数多くの推理小説が出版され、時にはドラマ化してテレビ放送されたりします。多くの作家がありとあらゆるトリックを考え出しているため、新しいトリックを生み出すのが難しくなっており、ある小説家は「もし、密室殺人で新しいトリックを思いついた人がいたなら百万円払ってでもそれを買い取りたい」というぐらいで、つまり推理小説は日本で長年人々に好まれ続けて洗練されたジャンルの小説であるといえるのですが、ここまで発展した推理小説の礎を築いたのが江戸川乱歩なのです。江戸川乱歩は大正から昭和にかけて活躍した小説家です。当時日本の推理小説は外国の訳本が主でしたが、江戸川乱歩は西欧の推理小説をお手本にしつつ独創的な作品を作り出し出しました。

 

私は江戸川乱歩が有名な推理小説家であるというぐらいは知っていましたが、実際に作品を読んだことはありませんでした。昔私は推理小説になじみがなく、なんとなく堅苦しそうだという理由で読んでいませんでした。江戸川乱歩の作品に興味を持ったのは高校生の頃に読んだSF作家星新一がエッセイの中で江戸川乱歩の小説について語っていたことがきっかけでした。前回前々回と本を紹介したことからわかると思いますが、星新一は私の最も好きな作家のひとりです。星新一が子どもの頃、江戸川乱歩は少年探偵団シリーズに代表される多くの児童向けの小説を書いており、星新一は胸をときめかせながらそれを熱心に読んでいたと語っています。私自身は前にも書いた通り小学生のころから星新一の本を夢中になって読んでいた人間ですからそのエッセイを読んだとき「あの星新一が熱心に読んでいた江戸川乱歩の小説は一体どういったものなのだろうか」と興味を持ち、何か一冊読んでみようと手に取ったのがこの「江戸川乱歩傑作選」だったのです。今回はこの中のいくつかを紹介したいと思います。

 

「屋根裏の散歩者」はあるアパートを舞台にした殺人事件をテーマにしています。登場人物の郷田三郎は暇を持て余した若者でしたがあるとき自分の住んでいる部屋の押し入れで屋根裏へと通じる入口を発見し、その日から三郎の屋根裏の散歩が始まります。最初は同じアパートの他人の様子を見るだけだったのが好奇心を抑えられず、ある時アパートの隣人を殺害してしまいます。この「屋根裏の散歩者」は思うがまま屋根裏を跳梁する三郎の様子をリアルに描いています。江戸川乱歩は小説を灯りのない暗い部屋で書いていたという逸話が残っており、この「屋根裏の散歩者」もそういった暗闇での実体験をもとにしているのかもしれません。また、この小説には日本でも有名な架空の探偵である明智小五郎が登場します。物語の前半は屋根裏部屋を発見し殺人を犯すまでの三郎の様子、後半は明智小五郎の華麗な推理により三郎が遂に自白してしまう様子を描いており、まるで自分自身が明智小五郎に追い詰められているように感じてしまいます。

 

デビュー作「二銭銅貨」は、強盗犯が盗んだ大金のありかが書かれた暗号メモを発見した男が、その暗号を解き明かしていき、ついに大金のありかを突き止めるという内容です。暗号は推理小説には付き物ですがこの小説に出てくる暗号はかなり独特で、例えば

「南無弥陀仏、南無、南仏、南無」

といったお経のような暗号です。暗号の意味が分かった時、思わず手をたたきたくなるような痛快さがこの作品にはあります。上の例に挙げた暗号は作中の暗号の法則に従って私が作ったものなので意味を知りたい方は是非「二銭銅貨」を読んでみることをお勧めします。

 

私は最初軽い気持ちで、学校の朝の読書時間にこの本を読むことにしたのですが、十分間の読書時間が終わった後も続きが気になってしまい、授業と授業の合間や昼休みにもこの本を読み、家に帰ってからも読み続けました。数十年前の作品のはずなのに、あまり古さを感じさせず、またこの本を通じて数十年前に星新一が受けた感動を共有しているというのがうれしくて一気に最後まで読んでしまいました。レビューを読んで興味を持った人は是非手に取ってみてください。

(西蔭健作)

 

 

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2013年

3月

08日

朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」

映画「桐島、部活やめるってよ」日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞おめでとうございます!

すごくよかったけどこんなメインの賞を穫るとは思わなかったので、感激もひとしおです。これからDVDを見る人も多いと思いますが、原作もぜひ読んでもらいたく、以前書いていたレビューですが、ここにものせておきます。

先日バス停で聞こえてきた、たぶん男子中学生の会話。

 

「なんか部活、行けないんだよねー。でも行ってることになってるから、シャツにギャツビースプレーしといた」「親うるせーもんな」


思わず、苦笑です。まさしく自分の子も同じようなこと言っていたので。親にしてみたら、団体行動なのに迷惑かけて!とキリキリしていたけれど、あの頃、なんだかわからないけど嫌になったり、思い詰めたり、そんなことが部活の中でたくさんあったんだっけな、と今さらながら思い出したりしたのでした。

そんなこともあって、今回は朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』です。

第22回小説すばる新人賞受賞作、著者は1989年生まれの現役早稲田大学生、という話題性はともかく、新しい青春小説として人気、評価ともに高い作品です。 

ここ数年、部活をテーマにした小説や漫画、それを原作にした映画が急増していますよね。マイナーな、書道部や文芸部、園芸部など、文化部系のいかにもドラマになりにくそうな部活がテーマになってきました。結構気になって色々読みましたが、部員同士の人間関係や、競技描写など、まさしく「部活」が描かれていて、全般的に楽しめるジャンルです。

『桐島、〜』は、少々それらの部活小説とは色合いが違います。

タイトルの「桐島」は一度も登場せず、桐島が部活をやめることによって生じたちょっとした変化が、登場する他の高校生にもたらした波紋が描かれています。

 

桐島がいなくなったかわりに、レギュラーの座をつかむことになったバレーボール部員、自分も部活を休んでいる野球部員、クラスのヒエラルキーでは「下の人」で女子にも蔑まれているけど、好きなことを続けている映画部員など、何かしら屈折した思いを持っている。恋愛、家族、友人、悩みはつきないけど、ちょっとしたことで何かが大きく変わったり、視野が広がったりする。そのきっかけが、部活であったり、同級生の桐島が部活をやめることだったりする。それぞれ葛藤をかかえていても、部活を、好きなことをしているときは、ひかりを放っている……そうだ、17歳の頃って、そんな世界だったんだ、と甦ってきます。

大人はついそんなノスタルジー読みをしてしまいますが、つい最近まで高校生だった著者が描く17歳の学校生活は、音楽もファッションも恋愛もリアルで、同世代は自然と共感するでしょう。派手な展開もなく、わかりやすいキャラクターも出てこない文芸作品だけど、もし高校生に受入れられているとしたら、部活というものの存在を、間違えなく伝えているからでは、と感じました。

(makio)

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2013年

2月

25日

J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」

“phony”

全世界で6000万部もの累計発行部数を記録している本作品。その原文にはこの単語が何回も登場します。日本語での意味は「インチキ(な)」。邦訳版の文中にはもちろん何度も「インチキ」という言葉が出てきます。
この物語はひとことで言えば一人の少年がひたすら、世の中に満ちた「インチキ」にケチをつけていくだけというストーリーなのです。

本書の主人公であるホールデンは下宿しながら高校に通う16歳の高校生。しかしクリスマス直前に学業不振で退学になってしまいます。そんなホールデンは寮を飛び出し、実家に帰るまでニューヨークを3日間放浪します。

この作品の大きな特徴の一つは口語体で書かれた文章であるという点です。主人公のホールデンが、自らの放浪の旅で経験した事柄を読者に語るという形で物語は進んで行きます。しかしその言葉の中には口汚いものも多く、旅のなかで出会う人々のことをこき下ろしてばかり。それゆえに物語にはこれといった筋はなく、起承転結というものが明確に存在するわけでもありません。ときには支離滅裂でめちゃくちゃな場面も存在します。名作小説を読むぞ、と意気込んでこの作品を手にとると少し驚いてしまうかもしれません。
しかしこの作品が名作たるゆえんは、文章の美しさでも、ストーリーの素晴らしさでも、結末の意外性でもなく、とにかく主人公に共感してしまう、という所です。
すこしでも「自分はひねくれている人間かもしれないな」という自覚のある人は、この本を読み終わるまでに何十回とホールデンに共感してしまうのではないでしょうか。

「兄さんは世の中に起こることが何もかもいやなんでしょ」
これは放浪の旅の終盤、ホールデンが妹のフィービーに言われた言葉であり、同時に物語を象徴する言葉でもあります。
この作品にはいわゆる“エキサイティング”なシーンも“ファンタスティック”なシーンも一切出てきません。ただ一人の“純粋無垢なひねくれもの”の少年が延々と“インチキ”に満ちた周囲に対する愚痴を述べていくだけです。すばらしい少年時代を過ごしてきた、あるいは過ごしている人にとってはこの本は退屈でいらいらするだけかもしれません。しかしそうではなく、社会や周りの人々に対して何かしらの不満を抱き続けてきたような人にとってはバイブルと言えるほどの愛読書になることでしょう。

60年以上も前に発表されていながら今もなおホールデンに共感する人々が後を絶たないという本作品、現在日本では野崎孝さんによるものと村上春樹さんによるものの二つの邦訳版が出ていますが、初めて読む場合は“定番”と言われている野崎さんの訳のものをお勧めします。
読み終わった後には村上さんの訳のものと読み比べたり、原文に挑戦してみたりするといいかもしれません。(中川)

『ライ麦畑でつかまえて』
著/J.D.サリンジャー 訳/野崎孝
白水社 1984年5月

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2013年

2月

05日

星新一「殿さまの日」

 今回紹介するのは星新一の短編集「殿さまの日」です。前回は星新一の「おーいでてこーい」の紹介だったので立て続けに同じ作家の本の紹介になってしまって申し訳ないのですが、前回の紹介した「おーいでてこーい」が著者の人気の作品を収録した「これぞ星新一」と言う内容だったので、このページを見ている人の中には「もう知ってた」「読んだことある」と言う人も多くて、そのような人にとってはあまり参考にならない紹介になってしまったのではないかと後になって考えたのです。そこで、今回は既に星新一の本を読んだことのある人にも星新一の新たな魅力を知ってもらえる一冊を紹介したいと思います。

 

 この「殿さまの日」は収録されたすべてが江戸時代を舞台にした時代小説であり、宇宙や近未来を舞台にしたSFを書くことの多い著者の作品の中でも異色の作品集です。表題作「殿さまの日」はじめ、「ねずみ小僧次郎吉」「江戸から来た男」「薬草の栽培法」「元禄お犬さわぎ」「ああ吉良家の忠臣」「かたきの首」「厄よけ吉兵衛」「島からの三人」「道中すごろく」「藩医三大記」「紙の城」の合計十二編を収録しています。時代小説と言うとなんとなく堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、星新一は新しい視点で歴史的事実をとらえながら読みやすいユニークなものに仕上げています。その中からいくつかを紹介していきたいと思います。

 

 まず、表題作「殿さまの日」ですがこの小説は江戸時代のある大名の一日を精密に描いた作品です。この大名、つまり殿様ですが具体的な名称は出てこず、モデルとなっている人物もおそらくいないと思われます。いったいどの地方の殿様かも具体的には示されていません。つまり、「江戸時代にいたある大名の一人」という抽象的な存在として主人公の殿様を描いているのです。内容は殿様の平凡な一日を描いているのみであり、物語に大きな起伏はありません。普通の小説の殿様というのは農民をいじめる悪役だったり、弱きを助ける勇ましい名君であったりするものです。しかし、特にどういうことのない大きな事件が起こっていない時の普通の殿様の日常を描いた作品というのはあまりないのではないでしょうか。殿様自体の人物設定は曖昧ですが、殿様の普段の生活については非常に具体的に描写しています。殿様が朝の七時頃に起き、家来に着替えさせられ、毒見の済んだ朝食を食べる、といった風に実際にこの殿様がいたわけではないのだけれど、江戸時代の大名の生活を平均化したような、一般的な大名の生活がどのようなものであったかを正確に描いているのです。この小説はそんな普通では見ることのできない殿様の日常を時折殿様の回想場面をはさみながら描いています。殿様の日常を追っていくうちに殿様もまた人間であり、他の人間と同じように悩み苦しみながら生きているということが分かってくると思います。

 

「かたきの首」と「道中すごろく」は武士の仇討ちをテーマにした作品です。仇討ちというのは、直接の尊属(父母または兄)を殺害した者に復讐を行うという中世からの武士の慣習です。仇討ちを遂げることは武士にとって面目を保つために重要な意味を持ち、多くの仇討ちの逸話は美談化され、芝居や小説などの題材になっています。しかし、実際の仇討ちは、親の仇を討つために旅に出たがいいが全く居所がつかめず、金が尽き故郷にも帰れずに野垂れ死ぬといったことが殆どで、仇討ちに成功した例は稀だったそうです。「かたきの首」では星新一はあえて敵討ちをうまく果たすことのできないでいる武士にスポットを当てています。親の仇を討つ痛快さではなく、武士の慣習に縛られ、広い世界でたった一人の仇をひたすら探し続けるという武士の姿を一種の悲劇として描いているようにも感じられます。逆に「道中すごろく」はある藩の役人である赤松修吾の気楽な仇討ちの旅を描いています。修吾は父親を殺されてしまいますが、同時に父が生前密かにため込んでいた莫大な財産を発見します。金さえあれば世の中は何とでもなるということを知っている修吾は、各地に金をばらまきながら芸人や芸者を仲間に加え、各地を観光しながらのんびりと仇討ちをめざします。通常の仇討ち固定観念をぶち壊し、悠々と旅をする修吾の姿は「かたきの首」との落差もあり、非常に可笑しなものになっています。

星新一はSFのみならず、広い守備範囲を持つ作家です。「星新一の本はもう読み飽きた」という方も是非本書を手に取って、星新一の新たな魅力を発見してください。

(西蔭健作) 


 

『殿さまの日』

星新一

新潮社 198310月  *文庫版絶版

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2013年

1月

26日

ピアズ・アンソニィ「魔法の国ザンス カメレオンの呪文」

魔法。それはだれしもが一度は夢見るものであり、だからこそそれを扱った創作物はこの世に数多く存在しています。


今回紹介する「魔法の国ザンス」もそのひとつ。ファンタジーの本場イギリスで生まれ育った小説家、ピアズ・アンソニィによるシリーズもののファンタジー小説です。海外のファンタジー小説というと「ハリーポッターシリーズ」が有名ですが、この作品はそれに負けず劣らず魅力的な作品であるとして高い評価を受けています。

 

物語の舞台はタイトルにもなっている、魔法がすべてを支配する異世界ザンス。この世界に生きる者は全てが魔法を使えるかもしくは生き物自身が魔法的な存在なのです。そして人間が使う魔法には一つたりとも同じものはなく、何の役にも立たないようなものから強力なものまで千差万別。しかし25歳を過ぎても魔法の力を持たないものはマンダニアと呼ばれる魔法の無い世界へと追放されるという掟がザンスには存在します。

第一作「カメレオンの呪文」の主人公はもうすぐ25歳の誕生日を迎えるというのに一向に魔法の力が現れない青年ビンク。ザンスを追放されてしまうことを恐れたビンクが、自らの魔法の力に関する答えを求めて知識の魔法使いハンフリーのもとを訪れる旅を決意するところから冒険は始まります。しかしもちろんビンクに魔法の力が無いわけはありません。ビンクの魔法の力とはいったい何なのか。それが明らかになっていく中で登場する様々なキャラクターはどれも魅力的で、この作品が他のファンタジー作品とは違ってキャラクターそのものに焦点を当てていることが分かります。

 

また、このシリーズの大きな特徴としてしばしば挙げられるのが「駄洒落」です。駄洒落や語呂合わせといったユーモアが作品のさまざまな部分に散りばめられており、この作品の根幹自体にも駄洒落が組み込まれているのです。もちろん作品のオリジナルは英語で書かれているわけですが、このシリーズの翻訳を担当している山田順子さんの名訳により、その駄洒落の妙が日本語でも違和感なく楽しめるようになっています。

当初は3部作として開始されたこのシリーズは、好評であったがために予定を変更して続けられ、現在はなんと35巻まで出版されており、日本でも21巻まで翻訳されています。これだけの量があるため、普段気に入った小説を見つけた時に抱きがちな「もっと楽しみたい!」という欲を必ずや満たしてくれることでしょう。

英国幻想文学大賞も受賞したユーモア・ファンタジーの傑作「魔法の国ザンス」シリーズ、一度はまってしまうと長い旅になってしまうことをご忠告しておきます。

      (中川)

『魔法の国ザンス カメレオンの呪文』

ピアズ・アンソニィ/著 山田順子/訳

ハヤカワ文庫FT 198512

 

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2013年

1月

14日

遠藤周作海と毒薬」

話はとある気胸を患っている男性が、町医者の勝呂医師と出会うところから始まります。町医者にしては優秀すぎるほどの腕に、不気味なほどぬくもりの感じられない手。勝呂氏を疑問に思った男性は過去の新聞記事から彼の素性を知ることになります。勝呂医師は戦時下に行われた生体実験の参加者でした。

戦争末期、医学生だった勝呂のいた病院では医学部長の座をめぐり権力闘争が起こっていました。闘争でやや劣勢だった勝呂の恩師・橋本は「点数稼ぎ」のため軍部と手を結び、外国人兵捕虜を使った生体解剖実験を行うことになります。軍の指令のままに実験を進める橋本、橋本の意とは異なる各々の考えを胸に実験に同行する医者や看護婦たち、そして良心の呵責を感じながらも実験を傍観する勝呂。それぞれの立場から生体実験への思い、そして罪への意識が描かれています。

 

みなさんは罪悪感を感じたことがあるでしょうか。子供の頃吐いた小さな嘘、ちょっとしたイタズラ、何でもいいのです。どうして罪悪感を感じたのでしょうか。あるいは、どうして何も感じなかったのでしょうか。

生体実験に参加した者の半数以上は特に罪の意識を感じなかった側の人間でした。なぜ彼らは人の命に係わる残忍な実験に参加したのに何とも思わなかったのか。

理由の一つに「当事者が自分だけでないこと」があげられます。自分だけのせいではない、だから自分は悪くないという他人への罪のなすりつけが無意識のうちにも起こるのです。これは今の社会にも当てはまることであり、例えば多くのいじめが1人対1人で起こっているわけではないことがあげられます。いじめられっ子に直接手を下す者、いじめっ子を手伝う者、端から見ている者、それぞれが当事者でありながら自分だけが当事者ではないことから、自分以上に罪の重い者を探し、自らの罪を棚上げにしてなかったことにしているのではないでしょうか。

さらに作中での生体実験は当時権力の頂点たる軍部がバックについています。強力な権力に強いられて行った実験ならば仕方ないから罪を感じなかった、という理由もあるでしょう。しかしここに軍部(=権力)が介入していなかったらどうでしょうか。結局人は自ら罪意識を抱えるのではなく、世間体を気にした「恥」の延長として罪を感じるのかもしれません。

もちろんこれらは単なる推論にすぎませんし、罪への意識は人それぞれです。自分はどう感じるだろうか、また自分が作中の実験に関わる立場だったらどうか。やや難しめの本ですが、読者たるみなさんそれぞれがその点について考え、自分なりの答えを模索しながらこの本を読んでほしいと思います。

(マツバラ)

『海と毒薬』遠藤周作

新潮文庫 19607

 

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2012年

12月

22日

星新一『声の網』

世に小説好きは数あれど、星新一を読んだことが無い者はいない。

 

というのは僕が常々提唱している説ではありますが、おそらく当たっているのではないでしょうか。きっとみなさんも星新一の作品を一度は読んだことがあると思います。

 

星新一の作風として有名なのが言うまでもなく「ショートショート」という形態でしょう。

ショートショートとはその名の通り非常に短い短編小説のことを指すのですが、星新一はショートショートの神様とも呼ばれ、1000作以上ものショートショートを遺したことは世に広く知れ渡っています。

しかし今回僕が紹介するのは、その有名な「ショートショート」とは少し違った作品である、『声の網』です。

『声の網』は星新一作品に多く見られるそれぞれの話が独立した短編集ではなく、いくつかのお話を連ねて一つのことを描き出す、短編連作の小説です。

この物語は12の話からなっており、とあるマンションの1階から12階までそれぞれに住んでいる人々に起こる出来事が描かれます。物語の時代は近未来、電話に聞けば何から何まで教えてくれ、それだけでなくお金の払い込みからジュークボックス、診療サービスまで電話一本でできる世界です。そして物語はマンションにの住人たちに不思議な電話がかかってくることから始まっていきます。

これまでの説明で何か気づきましたでしょうか。

 

そう、この世界の「電話」とは、今私たちが当たり前に利用している「インターネット」に非常に似ているのです。

何でも教えてくれる検索エンジン、種々のサービスが家に居ながらにして受けられる機能、まさにインターネットそのものです。

では、ここで少し不思議に思うことはないでしょうか。

星新一は少し昔の小説家。あれ、インターネットっていつからあったんだっけ…?

 

この作品が発表されたのは1970年。一方そのころインターネットはというと、まだまだ開発途中であり、個人が利用できるには程遠い状況でした。今日のようにインターネットが全世界に普及し始めるのは2000年ころからであり、この作品が発表された1970年には、人々の日常生活にインターネットなどというものは存在していなかったのです。

つまり星新一は、今から40年以上前、インターネットが普及し始める30年以上も前にこの『声の網』でやがて訪れるインターネット社会を、驚くほど正確に予見していたのです。

星新一作品を好きな人には、「オチが面白い」「話のアイデアがすごい」という人が多くいると思いますが、僕が思う星新一の本当に恐るべき魅力とは、その「先見性」なのです。

 

物語の終盤で、とある人物がその社会(ないしは世界)について自身が思いついた考えを友人に語ります。彼はそれを「帰巣本能的な文明論」と名付けますが、それはまさに40年以上の時を隔てた現代社会への警告ともとれるほどすさまじい内容のものであり、もしかすると不気味にすら感じてしまうかもしれません。本作品では表だって何か大きな事件が起きたり、あっと驚くような結末が用意されていたりということはないのですが、きっとどんな波乱万丈な作品にも負けないくらい、心が揺さぶられてしまうことでしょう。

 

誰もが慣れ親しんできた星新一の違った一面でもある、もはや予知能力とでも言うべき「先見の力」に触れてみてはいかがでしょうか。

(中川)

 

『声の網』 星新一

角川文庫 改版初版20061

 

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2012年

12月

15日

乙一『暗いところで待ち合わせ』

 文庫書き下ろし用として書かれたこの作品は2006年に映画化もされており、そちらを見たことがあるという人もいるかもしれません。

 

とある駅のホームで殺人事件が起き、その犯人として警察に身を追われる大石アキヒロ。逃亡犯となった彼は、駅のすぐ近くで独り静かに暮らす盲目の女性・本間ミチルの家に逃げ込み、居間で身を潜めます。見知らぬ誰かの気配に気づいたミチルは危害を加えられることを恐れ、気づかぬフリをし、いつもどおりに振舞おうと決めました。そんなアキヒロとミチルの奇妙な約2週間の「二人暮らし」が2人それぞれの視点から描かれた物語です。

この小説を何か特定のジャンルに分類することは難しく、むしろ複数のジャンルのテイストが織り交ぜられているというのが正しいでしょう。殺人事件に重きを置いて読めばミステリーですし、アキヒロとミチルの生活・関係に重きを置けばほのぼの系、或いはロマンスといえるかもしれません。アキヒロは職場での人間関係がうまくいかなかったことから、ミチルは自分の目のことから、2人には他人に怯え独りを好むという偶然の共通項がありました。そんな2人が互いの存在を認識し、心の距離を少しずつ縮め、精神的に成長していく姿には、喩えるならば、突然の停電の中で手の感覚だけを頼りに辺りを探ったときふと誰かの指先の温もりに触れるような、わずかな不安の入り混じるあたたかさを感じます。私は是非その点に注目して読んでほしいです。

ひとつ残念なことは文庫のカバーデザインです。登場人物に盲目の女性がいるのに表紙は目がぱっちりと少し怖いくらい大きい女性になっており、表紙だけを見ると、タイトルの雰囲気もあいまって必要以上にホラーチックになってしまっています。

実際の内容にはホラー・グロテスク表現は一切ないので、今まで表紙で敬遠していた方もそうでない方にも一読をおすすめします。

(マツバラ)

『暗いところで待ち合わせ』乙一 

初版 幻冬舎文庫 20024

現在は『失はれる物語』 (角川文庫)GOTH 夜の章』 (角川文庫)などに収録

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2012年

11月

13日

瀧羽麻子『うさぎパン』

 

2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞した作品です。

主人公はお嬢様学校育ちでパンが好きな高校生の優子。物語は大まかに二分することができ、一つはパン好きという共通項を持つクラスメイトの富田君との話、もう一つは家庭教師の美和ちゃんや優子の義母のミドリさん、そして美和ちゃんとの出会いをきっかけに出会ってしまった「ある人物」との話で、恋愛、友達、家庭、あらゆる面から優子と彼女を取り巻く人物たちの日常が淡く優しく描かれています。

 

作中のテーマの一つとして「人や物事を好きになるということ」があげられます。

誰にでも好きなものがあると思います。好きなものが数えきれないほどあるという人もいるかもしれません。例えば遊園地と体育の時間が好きだとしましょう。なぜ遊園地が好きだと思うのか?楽しいから。なぜ楽しいと思うのか?色んなアトラクションで遊べるから。なぜ色んなアトラクションで遊べると楽しいと感じるのか?じゃあ遊園地と体育の時間ではどちらの方がどれくらい好きか?――――

こうして何かを好きであるということに対してなぜ?どうして?どのくらい?という問いかけを重ねていくと、必ずどこかで「知らないよ!好きなものは好きなんだからしょうがないでしょ!」と考えることを放棄したくなる時が来はしないでしょうか。私はなります。それでいいのです。

何かを好きになるということには必ずしも論理的な理由がないといけないわけではない。また好きなものが増えていくということはその好きなもの一つ一つに向ける感情の熱量が減るということではなく、すべてのことを最大限の力で愛することも可能である。それは理不尽と思う人もいるでしょうし、主人公の優子もそう思っている一面が見られますが、それらの理不尽さが許される、そういう優しさがこの物語には含まれています。

 

また幻冬舎から出ている文庫版には美和と彼女の友人桐子を主人公にした書き下ろし小説「はちみつ」も収録されていて、1か月前の失恋から立ち直れずにいる桐子の視点から物語が描かれ、「好きになる」ということの中でも恋愛面に焦点があてられています。

 

文量は多くはなく2時間もあれば読み終えられる程度で文体も淡々としているので、何かの受賞作であると期待して力んで読み始めると拍子抜けするかもしれません。通学通勤の時間や学校の休憩時間に休憩気分で読むことをおすすめします。

ただし読んでいるとパンが食べたくなるのでご注意を。

(マツバラ)

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2012年

11月

02日

重松清「エイジ」

連続通り魔は同級生だった。

高橋エイジは東京郊外の桜ケ丘ニュータウンに住む「普通」の中学生。二年生の夏、エイジの住む町では連続通り魔事件が発生していた。犯人の犯行は次第にエスカレートし、とうとう捕まったその犯人の正体はクラスメイトだった。大々的にテレビや週刊誌に取り上げられ、周りが大騒ぎになっても、エイジは同級生が通り魔だったという事実を実感できないでいた。

「逮捕された同級生と自分の違いはなんだろうか?自分もいつかキレてしまうのだろうか?」

親との関係、親友とのいさかい、同級生の女子への恋に悩む中でエイジの心は揺れていく。

 

本書の著者である重松清は現代の家族をテーマにした作品を執筆しており、中でも思春期の少年、仕事や家族に悩む父親の目線から描いた小説が多く見られます。本作では中学二年生エイジの目線から、エイジの周りで起こった連続通り魔事件と並行しながら中学生の生活をリアルに描いています。

本書が出版されたのは1999年ですが、その2年前の1997年はあの酒鬼薔薇事件が発生した年です。有名な事件なのですでに知っているかもしれませんが、この事件は神戸市で起こった連続暴行殺人事件で、その凶悪性、そして何より中学二年生のまだ14歳の少年が犯人であったという点で全国的なニュースとなりました。この事件を機に14歳という年齢が「危険な年齢」と認知されるようになったように思います。本作は主人公とその同級生の通り魔が14歳ということからも酒鬼薔薇事件の影響を受けて書かれたと考えていいと思います。

 

本書のことから少し離れますが、今14歳の人はどんなことを考えながら暮らしているでしょうか。元々、14歳と言う年齢は人生において「大人と子どもの境目」と呼べる重要な時期です。子どもは14歳を境に物事の本質について考えだし、自分のやりたいことをやろうとする意志を持ち始めます。そのため、小説や漫画などの主人公が中学生というのはよくあるパターンです。しかし、実際の中学生というと小説や漫画の主人公のようにいかないのが現実です。物事の本質について考えてみても考えれば考えるほど袋小路にはまってしまい結局正解にたどりつかず、何かをやりたいという意思があっても行動に移せないというのがほとんどだと思います。「口先だけは一人前、でも能力がない、もどかしい。やりたいことはある、だけど他が忙しくてできない、時間がない、もどかしい」といった感じに漫画風の理想と厳しくつまらない現実とのギャップに苦しみ、もどかしさを感じているのが14歳ではないでしょうか。私が中学生の時も、特に自分から行動することなく受け身の生活をしていて特に変わったこともありませんでした。そんな中でふと「もしかしたら自分はこの世で最も情けのない中学生ではないか」と勝手に不安になっていたような気がします。本作の登場人物たちもそんな一般的な中学二年生と何も変わりません。

本書はそんな普通の中学生(もちろん普通の中学生だった人にも)にぜひ読んでほしい一冊です。連続通り魔事件の犯人が同級生だったら、普通の中学生は何を考え、どのような答えを出すだろうかということを、中学生の普段の生活を描写しつつリアルに描いています。また、作品内では中学生の使う若者言葉、例えば「うぜえ」「キレる」「マジ」などといった言葉が大量に使われていますが、不快な印象ではなく、中学生らしさを実感でき、より感情移入しながら読むことができるでしょう。そして、主人公を含めたクラスメイトが事件について様々な考えを語ります。ある男子は「絶対に許されることではない」と考え、ある男子は「人は生きている限り唐突に理不尽な悪意を向けられる可能性を持っている」とこの事件を事故のように考え、そしてある男子は「僕は犯人の気持ちがわかってしまうかもしれない」と考える。本書に登場する中学生の言葉は少し幼いけれど真っすぐで心に響くものがあり、読者も登場人物の近くにいるかのように共感できると思います。私自身は主人公エイジのクラスメイトのツカちゃんという登場人物に特に共感しました。ツカちゃんは見かけは不良風のクラスのお調子者で、事件が起こった当初は事件についてあれこれ騒ぎ立てて面白がっていました。しかし「同級生が犯人だった」という事実から通り魔事件が他人事ではなく「自分自身、あるいは家族がいつか通り魔に襲われるかもしれない」という危機感を感じると同時に、罪のない一般人が理不尽な悪意により傷つけられるということに怒りを感じ始めます。ツカちゃんは世の中には犯罪があふれていて、自分の力ではどうしようもないと分かっているけれど、どうしようもないからと受け入れることはできないと考えたのです。私はこの登場人物の直球な感想と葛藤に苦しむ姿からリアルな中学生を感じ、深く共感しました。

 

私自身はこの本を14歳のときにはじめて読み、二度目は成人してから読みましたが、最初に読んだ時には気づきにくかった点、エイジの担任の先生や両親の心境にも注目できました。エイジの母はエイジが「ヤバイ」「マジ」といった若者言葉を使ったり一人称で「オレ」と言うのを嫌い、いつもそのことについて文句を言っています。最初に読んだときには私は「口うるさい母親だ」と感じると同時に「どことなく偽善的な、嘘くさい家族だ」とも感じていましたが、今になって読み返してみると、この母は息子が自分から離れていくのがさびしいのかもしれない、子どもが成長していくのはうれしいはずなのに、自分の知らない人間になるのが嫌だという矛盾に見えないところで苦しんでいるかもしれないと想像し、エイジだけでなく両親もまた普通の大人なのだと考え方を変えました。この変化は最初に読んだ時私が中学生であり、感情移入する対象が登場人物の中でも主人公ら中学生に限られていたのが、少しずつ大人の登場人物にも共感できるようになったからだと思います。本を読んで「こころに響いた」「印象に残った」と感じたならぜひもう一度読むことを勧めます。高校に進学した時や成人した時、または子どもができた時など人生の節目に本書を読んでみるとまた違った読み方ができるのではないでしょうか。

 

中学生から大人までお勧めの一冊です。ぜひ手に取ってごらんになってください。

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2012年

10月

21日

新世界より

 

「このクラス、あの農場に似てるわ。ほら、和貴園で見学に行った」

和貴園という小学校を卒業した渡辺早季は、進学した学校のクラスに対して、こんな感想を同級生に漏らす。

物語序盤、彼女は、クラスの同級生たちが学校から家畜のように管理されていると感じたのであった。

 

本作は、ジャンルとしてはSFやファンタジーに属する作品である。しかし、著者の貴志祐介はこれまでにホラーやミステリーといった部類の作品を多く執筆し、かつ数々の賞を受けてきた作家でもある。そういった経験を持つ作家によるものであるためか、この作品の持つサスペンス性は非常に高く、読み進める間中ずっと、どこかに宙吊りにされているかのような不安心を掻き立てられるのが特徴である。

物語の舞台は今から1000年後の日本。しかしその姿は、しばしばフィクションで語られるような科学の発展目覚ましいテクノロジー社会というわけではなく、むしろどこか牧歌的なまでに自然に囲まれており、未来的というよりはある種、古き良き日本、といった趣を感じさせる。一体なぜ文明はそのように逆行してしまったのだろうか。

今我々が生きるこの世界と地続きであるはずの1000年後の世界に至るまでに、果たして何があったのか。この謎こそが、本書の中で徐々に明かされていく重要な事実なのである。

 

私たちの世界と、1000年後の世界との間にある大きな違いの一つが“呪力”の存在である。

呪力とは一種の念動力(サイコキネシス)のようなものであり、手を触れることなく、対象に様々な働きかけを行うことのできる力である。1000年後の世界ではほとんど誰しもがこの能力を使いこなしている。

さて、もしも自分にそのような力があれば、あなたならどのように使うだろうか。

仕事のために使う人もいるだろうし、面倒な家事を片づけるために使うという人もいるだろう。中には、誰かを傷つけるために使う、という人もいるのではないだろうか。

しかし、この1000年後の世界では誰かを傷つけるというような残忍非道な使い方をするものは誰もいないのである。

 

物語の序盤から、主人公である早季を含めた子供たちは、やや過剰なまでに非道徳的な行為に対して嫌悪感を表し、それを強く否定する。この未来の世界では、私たちが現代社会を生きる上で日々遭遇し、仕方なく折り合いをつけているささいな“非道徳的行為”すらも激しく忌避されることのようである。

 

子供たちのその感性は教育によってに刷り込まれる。学校に通う子供たちは、呪力を使えるようになる前の幼いころから繰り返し倫理を説かれ、正しい道徳規範を身に付ける。その陰で、まれに現れる性格に欠陥のある者は排除され、誰の記憶からも消し去られる。そうして学校に管理されながら、子供たちは成長していくのである。

このどこか過剰なまでに神経質とも言えるシステムが根を下ろしている理由、不自然なまでに平和な未来の日本に至るまでの歴史、そして誰もが当たり前に用いている呪力というものの正体。それらの謎は一つの答えに帰結するのだが、その答えを、早季自身が成長しながら理解していくうちに、徐々に世界の崩壊の予兆は訪れる。不安を感じながらもどこか希望のあった早季の子供時代が終わるころから、物語の不安さが加速度的に現実味を帯びていく。その急展開するストーリーにはどうしようもなく惹きつけられてしまうだろう。

 ここまではあまり述べてこなかったが、この作品のSF、ファンタジー的な世界観も、物語を構成する大きな要素である。舞台はパラレルワールドではなく、あくまでも現実の世界であるため、荒唐無稽なものは登場せず、空想のものでありながらもどこかリアリティのあるものが多く登場する。この作品で重要な役割を担う“バケネズミ”は人間の言うことを聞く家畜のような存在であるが、幻想的というよりもむしろ悲痛なまでに生々しい生き物である。

また、物語序盤に登場する“ミノシロモドキ”はウミウシのような生き物の見た目をしているが、実はその正体は生物ではなく、一種のデジタルデバイス(Panasonic製)なのである。、早季たちに重要な事実を伝えることになるこの情報端末は、先史文明の遺産として登場するが、1000年後の世界を生きる早季たちとのギャップはどこかシニカルにも感じられる。

このほかにも本作品特有の生物や機器などが登場するが、どれも従来のSFやファンタジーのそれとは一味違った様相を呈しており、そこから生まれる世界観は、一般的なそれらのジャンルのものとは一線を画す魅力を持ったものに感じられるだろう。

本作品は2008年に発表され、第29回日本SF大賞を受賞している。その後、昨年の文庫化を契機に様々な展開がなされ、現在ではTVアニメが放送中であり、漫画化もされている。

今から1000年後の世界を生きる早季がさらに未来の人々へ宛てた手紙でありながら、同時に、現代を生きる我々へのメッセージにもなっているという本作。小説を含め、様々な媒体で楽しんでみてはいかがだろうか。(中川)


『新世界より』

貴志祐介 講談社 20081

 

 

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2012年

9月

09日

おれたちの青空

 

第26回坪田譲治文学賞受賞作『おれのおばさん』の続編です。

 

父親が横領の罪で服役、東京の進学校から一転、母親の姉が運営する札幌の児童養護施設に入った14歳の陽介を描いたのが前作。今度は「おれたち」のタイトル通り、陽介のほか、同じ施設の親友卓也と、施設を切り盛りする恵子おばさん視点の物語の3編があります。

この2冊、両方青空バックの写真が表紙です。

 

表紙画像を取り込もうとして、アイコンをみると、ぱっと見どっちがどっちがわからず、「青空だから、空が明るい方だったかな」と開くと、より青い方が『おばさん』でした。『おれたちの青空』って、バリバリ青春小説とか、熱血先生が出てくるテレビドラマみたいなタイトルだなと思いましたが、表紙の空は、そんなに明るくないんですね。

そう思って両作品を読むと、前作は、困難にあって挫折した陽介が、さまざまな出会いや葛藤、恋も経て、生きる方向を見出していくという成長物語でしたが、続編はもう少し複雑です。

 

卓也視点の「小石のように」では、親から受けた虐待、施設職員の暴力、学校でのトラブルへの親のひどい対応、その親が破産して家出してきた友人、など厳しい問題が次々出てきます。「あたしのいい人」では、パワフルな恵子おばさんの、生まれ故郷への反発とか、立ち上げた劇団の失敗、離婚、親の介護など数々の苦労が描かれています。

 

これらは雑誌「すばる」に掲載されていたもので、児童書として読まれることを想定していないのかもしれません。でも逆に若い読者に、善悪がはっきりしないものごと、複雑で理不尽な大人、などを知るきっかけになる作品では、と思います。明るくないといっても、最後は青空につながるような爽やかさも、もちろんありますので。

『おれたちの青空』

佐川光晴 2011年11月(集英社)

 

 

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2012年

7月

15日

エドガー・ソーテル物語

 

何かの書評で紹介されていて図書室に購入したのだと思うけれど、何で読んだかはさっぱり覚えていない・・・(笑)


それはさておき。

辞書並の分厚さにまずひるみます。でも、表紙に描いてある少年と犬の絵からして、面白そうなオーラが立ち上っている気がして、手に取ってから読み始めるまでの時間が短かったです。

 

 

 犬!


まず一番の読みどころは、ワンコたちの描写でしょう!ワンコ好きの人にはたまらない。特に、大きめの犬が好きな人は避けて通れないと思います。


主人公の少年エドガーは、生まれつき声が出ない(耳は聞こえる)のですが、可哀想なところはまったくありません。・・・あるシーンでは、声が出ないことが障害になるけれど、出ていても事態が変わったとも思えないので、やっぱり可哀想ではないと思います。

ネタバレにならずに面白さを伝えようとするとうまくまとまらないのですが、とにかく少年と犬の交流に萌え、涙しました。最後の方のとある一章は最初から最後まで泣きどおしでした。「泣ける!」という宣伝の仕方は嫌いですが、私は泣きました。今、思い出しただけでも泣けます。

ちなみに、訳者は金原瑞人さん。翻訳モノが苦手な私ですが、金原さんの訳は読みやすいので物語の世界に楽に入っていけます。

2012年のベスト本に今から入れたいと思います。

(ニャン左衛門)

 

エドガー・ソーテル物語 

デイヴィッド・ロブレスキー著  金原 瑞人訳 

NHK出版 2011年8月

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2012年

5月

29日

終点のあの子

 

以前読んでレビューを書きそびれていたのですが、先月文庫版が出ていたのでやはり書いておきます。

 

本書はある私鉄沿線のプロテスタント系女子高校を舞台にした連作短編集。学校の様子や立地などかなり具体的に描写しているので、おおよその目安はついてしまうのですが、東京都内のいわゆる私立のブランド女子中高一貫校での女子高生活が描かれています。

内部進学のごく普通の希代子が、高校から入ってきた自由奔放な朱里に憧れ、やがてそれが反発、攻撃に転じたり、ふだん全く別のグループにいるギャル恭子と文化系女子早智子が交流したりなど、友情、いじめ、対立などが複雑に変化していく様が、さほど重くなく淡々と連なっています。

前述のとおり、物語に登場する商品名、曲名などの表現が細かく、実名のものも多いので、登場する女の子達が想像しやすいのが特徴的です。

中学から変わらないアッキーが好きなのが無印の干し梅と赤西君、地味グループを脱したい奈津子が聞いているのがチャットモンチー、相対性理論を聞くサブカル好きカトノリが、クラスの中心の恭子の彼が車でEXILEを流していると莫迦にしていたり、など絶妙な選択では。

 

また住んでいる地域も、立会川、神泉、町田などの地名が書かれ、通っている子たちさまざまなバックボーンや生い立ちが想像できます。

著者は収録作「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞、1981年生まれだから女子高校生の感覚には近いのでしょう。連作の最後「オイスターベイビー」は朱里の卒業後の大学時代を描いていますが、女子高感覚が濃厚に漂い、少々痛々しい仕上がりになっていますが、それもまたリアルなのでしょうか。児童文学作家ではなく、本作以降は一般向けの小説を発表していますが、若い読者向けの作品も読んでみたいと思いました。(makio)

『終点のあの子』

柚木麻子著 文藝春秋 2010年5月

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2011年

11月

15日

初恋素描帖


 雑誌『セブンティーン』を見ていたら、ブックコーナーに紹介されていた『初恋素描帖』。3冊のおすすめ本はコミック、イラスト集とこの本で、小説はこれだけ。女の子が読みたそうな小説って数少ないんだなとあらためて思います。


 この本は2008年に単行本で刊行、この夏に文庫化されました。どちらも「ソラニン」の浅野いにおがカバーイラストを手がけていますが、文庫はより漫画タッチになっていて、今風です。中にも登場キャラクターや恋の相関図の浅野イラストがあって楽しめます。

 

 登場するのは中学2年生で、テーマは初恋。今の子にも入りやすい装丁で、まさにリアル中学生向けの本にも見えますが、子ども向けとして書かれた作品ではありません。中学2年の1クラス、20人の恋愛がそれぞれの一人称で語られ、クラスの人間関係や心の中の葛藤など、きれいばかりじゃないものが徐々に見えてくる、深い味わいがあります。

 著者が文庫あとがきで中学時代の“特別さ”を書いていますが、その思いをあたため描かれた作品なので、大人にも共鳴するのではと思います。

 でも主人公中心の友情や恋愛だけではなく、目立ない子も嫌いな子も、クラスすべての子が等しく描かれている小説というのは、ティーンズには意外と新鮮かもしれません。『セブンティーン』評の「同クラの話したことないあのコも、こんな恋をしてるのかなぁって思うと、親近感わいてくるよね」は、まさにそのとおり。本好きな子もそうじゃない子も、何かしら感じる作品だと感じます。                     

      (makio)

『初恋素描帖』

豊島ミホ著 メディアファクトリー 2011年8月(文庫版)

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2011年

10月

30日

舟を編む

 この本の話をしていたら中学生の子どもが「それ、先生が授業中話してた」と言っていました。辞書をつくる編集部の話は、確かに大人よりもずっと辞書をひく機会の多い中高生にもリアルに面白いかもしれません。

 

 出版社の中では地味な存在の辞書編集部、定年間近の老編集者が後継者として迎え入れたのが、営業部で持て余されていた馬締(まじめ)光也。

 言葉への独特な情熱を持つまじめのオタクぶりや、日々の生活、時代がかった恋愛の顛末もおもしろいのですが、彼の存在が編集部に、また辞書そのものに新しい風を吹き込んでいくさまに惹かれます。

 

 辞書に興味のないチャラ男の西岡、ファッション誌から異動になった岸辺、それぞれがまじめとは違う視点で言葉をとらえ、それがまじめ曰く「血の通った辞書」にするのに役立っていく場面にぐっと来ました。

 冒頭の先生が話していたというのもそのあたりで、「愛」という単語の例に「愛妻。愛人。愛猫。」というのはまずい、と岸辺が指摘するところ。先生、いいセンスです(笑)。

 

 用語採集カード、執筆者への依頼、用紙の開発など、辞書を作る過程そのものも興味深い。辞書にあとがきがあり、謝辞があるということにはじめて気づきました。装丁は渋いですが、帯、表紙に描かれた漫画風イラストが、若い読者も呼んでいるようです。

(makio)

 

『舟を編む』

三浦しをん/著 光文社 2011年9月

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2011年

9月

24日

六本木少女地獄

 

現役女子高校生による、戯曲集です。

著者の原くくるは高校中退後、チャレンジスクールである都立六本木高校に入学して3人しかいない演劇部に入部。表題作の脚本、演出、出演をつとめ、都演劇コンクールで教育委員会、関東高等学校演劇研究会で優秀賞などを受賞して注目され出版に至ったという話題の作品です。

 

星海社のサイト「最前線」で無期限無料で表題作全文を掲載、ウェブ上で読んでみました。

物語はいくつかの設定が入れ子に絡み合って進みます。

六本木で出会う家出少女と不登校少年、両親不在の姉弟、想像妊娠する少女と家族など、くるくると場面転換しながら、それぞれの関連が明らかになってきます。

 

適度なギャグや、いまどきな会話、テンポの早い展開など、笑いの要素がふんだんにありながら、家族、身体、性などに関わる若者の深刻な悩みも徐々に浮き彫りになっていく、その“物語感”とでもいうようなものに、正直圧倒されました。

 

ここ何年間か高校演劇を見る機会があり、上手いとか、いい作品というのもあったもののやはり「高校生の演劇」という枠をまず感じる気がします。しかしこの作品はそういった括りの一切ない、突き抜け感がありました。これを高校生3人でどう演じたのか、見てみたかったですねー。

朝日新聞のインタビューで「自分のいるところだけを世界だと思っている人に、違う見方を提示したい」「同世代に読んでほしい」と著者が語るように、上の世代が面白がるより、ティーンズが読む機会ができるといいな、と思います。

(神谷巻尾)

『六本木少女地獄』

原くくる/著 竹/イラスト 

星海社 2011年8月

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2011年

7月

31日

円卓

 最近面白かった本、として各所で聞いたのが、西加奈子『円卓』です。

 

 YAジャンルではありませんが、『さくら』『きいろいゾウ』などで若い読者も多い作家、という印象はありましたが、実は内容紹介など(感動作、というような)から、少々手が伸びにくかった気がします。

 

 しかし『円卓』はよかった! 若い世代にもおすすめしたい作品です。

 大家族に愛され、裕福ではないけれど幸福に暮らす小学3年生の琴子(こっこ)は、その凡庸さを毛嫌いし、8歳にして好きな言葉が「孤独」。複雑な境遇の同級生に憧れ、気になる言葉を自由帳に書き付け、不満や疑問を抱えながらも奔放にふるまうこっこのほほえましい物語、として前半は進んでいきます。関西弁のしょうもない会話と、こっこの心のモヤモヤがいい具合にバランスよく、笑えます。

 

 このまま「いいお話」で終わるかと思いきや、中盤から趣が変わります。悩みや憧れが自分の頭の中だけで完結していたこっこが、ある出来事に遭遇し、初めての感情を実感として知ることになります。少々不穏な描写もありますが、そのカタルシスが清々しく、他者との新たな関わりにつながるラストは感動的でした。

 「こっこは小三だけど中二病」と評していたレビューがありましたが、確かに。著者ブログで「小学三年生を経験したすべての方に」読んでほしい、とありましたが、つい最近まで小学生だった中二あたりにこそ、すすめてみたい気がします。

(神谷巻尾)

『円卓』

西加奈子 文藝春秋 2011年3月

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2011年

6月

01日

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

 学生の時から、日清戦争から始まる近現代史って、好きになれませんでした。


 五味川純平さん原作の一連の反戦ドラマ(「戦争と人間」「人間の條件」…)で庶民が理不尽な目に遭うのを見させられたり、戦前の日本女性の地位の低くさに嫌気がさしたり、「自虐史観」を嫌うネオコン系の首長によって「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が公立学校に採択され、イデオロギーが教育の場に持ち込まれてしまうことに憤ったりと、理由はいろいろあります。


 なら、なぜ本書を読んでみようと思ったのでしょうか。東日本大震災で福島原発事故が起こった今の日本の状況が「戦前と全く変わっていない」と、多くの人が指摘したからです。国策で原子力開発が進められ、地方の貧しい人々が犠牲になり、逆らう学者や知事は抹殺され、行政と電力会社は記者クラブ等を通じてテレビ・新聞の言論を統制し、事故後も国民には情報が隠され、多くの人(特に子どもたち)が被爆し、外国からの情報に頼らざるを得ない始末。十分な安全対策を取ってこなくても「想定外」と言えば許され、事故のツケは国民に回される……。日本の指導者たちが政策の責任を取らないのは、戦前と同じ原因なのか? 近現代史を振り返るのは気が重いけれど、その理由を知りたいと思ったからなのです。

 しかし読んでみると、とても楽しいのでビックリしました。近現代史の本なのに!


 その大きな理由は本書が「高校生を相手に討論形式で行われた授業の再録」だからでしょう。学校で教わる倫理や哲学がつまらなかった人も、サンデル教授の白熱教室は面白く見たという人が多かったのではないでしょうか。


 さすがハーバードの大学生、堂々と自分の意見を言う姿に圧倒されましたが、本書も負けてません。神奈川県で最も偏差値が高く、東大合格者数が多い中高一貫校の私立栄光学園の、しかも歴史クラブ部員!

「華夷秩序って、どういうものかわかりますか。

——朝貢貿易と同じ?

ああ、だいたいわかっていますね」


「中国側が強かった理由は、もちろん、31年の満州事変以来、日本側のやり方に我慢がならなかったという抗日意識の高まりがまずはあります。それ以外の点でなにがあったかということ、覚えていますか。4章の最後のほうです。ある国が中国を一時支える、とお話しましたけれども。

——ドイツ?

そうです。ドイツは40年9月27日、日本と三国同盟を調印することになる国ですが、38年5月12日に満州国を承認して明確に日本側と手を組むまでは、中国側に最も大量の武器を売り込んでいた国でした」


「それでは、(日清戦争後)国内の政治においてはなにが最も変わったでしょうか。論述ですと、だいたい10文字くらいになるのですが。(中略)

——普通選挙とかそういう……。 

そうそう、鋭い。そうなんです。(中略)それではなぜ、中村太八郎や木下尚江は突然、普通選挙が必要だ!と自覚するのでしょうか。(中略)

——三国干渉を受けて(遼東半島を)返してしまった頼りない政府に対して、民意が反映されていないと感じた。

はい、今のが正解です」

 教える先生も相当な歴史オタクですが生徒も負けていない。東大教授だろうが山川の教科書を執筆していようが、臆することがない。著者はこの講座をリンカーンのゲチスバーグの演説をもじって「歴史好きのための特別講座」と名づけるのですが、「歴史好きな教師と生徒」の熱気が読んでいてとっても気持が良いのです。


 本書が面白い理由はそれだけではありません。


 著者はなんと「歴史は科学だ」と教えます。


 桜蔭学園というこれまた偏差値の高い女子校出身の著者は、歴史好きゆえに同級生からバカにされたそうです。「歴史は暗記ものだから、覚えてしまえば、なにも考えなくても点数がくる科目だから」と。物理部にも所属していた科学にも明るい著者はさぞ悔しい思いをしたに違いありません。歴史が科学であることを、この授業で存分に証明してみせます。

 歴史は一回しか起こらない特殊な事項を扱うので、法則性を見いだせないと思われがちですが、「歴史家は過去のできごとの中から一般性を探す」、「歴史上の人物や事件は、その次に起こる事件に影響を与える」と言い、具体例を挙げます。


 ロシア革命を担った人々は、戦争の天才、ナポレオンがフランス革命を変質させてしまったと考え、天才トロツキーではなく、田舎者のスターリンのほうが安全だと思い、レーニンの後継者に選びますが、結果、数百万人が粛清されてしまう。また、アメリカは長らくベトナム戦争の泥沼から抜け出せませんでしたが、それは第二次世界大戦で巨額な対中援助を行ったのに中国が共産化してしまったのを指をくわえて見過ごした痛い経験があったから。


 そして太平洋戦争時の日本政府も例外ではありません。戦国時代の超有名な2つの戦いがトップの判断を狂わせてしまいました。そんなバカな! と思うでしょう? でも現に昭和天皇は、近衛文麿首相、杉山元参謀総長、永野修身軍令部総長や、山本五十六連合艦隊司令長官にこの史実を引き合いに出され、説得されてしまったのですよ。どの事件か知りたい人は是非、この本を読んでみてくださいね。

 

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2010年

9月

30日

アンナの土星

 著者の益田ミリさんはイラストレーターさんだそうです。すみません、ワタシ実はこの方漫画家さんだと思ってました…。「すーちゃん」で初めて知った方だったので。エッセイも読んでます。好きなんですよ。で、この本は初小説だというので、これは読まなきゃと。


 楽天ブックス【内容情報】(「BOOK」データベースより)お兄ちゃんの笑い声が好きだった。お兄ちゃんの笑い声を単語にするならば「真実」だと思う。嘘のない、やわらかな笑い声だった。14歳のアンナは、両親と大学生のお兄ちゃんとの4人家族。アンナは、毎晩のように屋上の望遠鏡で星を見ているお兄ちゃんから、宇宙の話を聞くのが好きだった…。みずみずしい痛みと喜び、不安と成長、地上と星空。14歳だった全ての人に贈る青春小説。

 
 なんか上の内容読むと、お兄ちゃんがいなくなったり死んじゃったりする話じゃないか?とか思っちゃいませんか?(私だけ?)大丈夫、お兄ちゃん ちゃんと生きてます(笑)。

 

 アンナはフツーの中学生です。学校は窮屈だけど、仲のいい友達がいる。バスケット部。お兄ちゃんとはけっこう仲がいいほう。スカートはちょっと短めにしてるけど、3年生ににらまれない程度に気をつけてる。


 そうそう、中学って先輩・後輩っていうのが強いしいろいろきゅうくつなんだっけって思いだします。友だちや部活や、とにかく人間関係いろいろ。自分が繊細だし、距離もそうとう近いからね〜と今なら余裕があるから言えるけど当時はもういっぱいいっぱい。元気なんだけど、その行き場が身近すぎておぼれそうな感じ。

 でもだからってつらいだけじゃなくってその中にあるちっちゃな楽しいことや面白いこともちゃんと味わってる。


 そんな毎日の中天文オタクで理系の学校に行ってるお兄ちゃんは宇宙の話を日常会話でしていてなんとなく息がつけるようなことを話してくれたりしています。


 初夏も秋も冬も春休みもそんなふうにして過ぎていって他の家族は知らないんだけどアンナは推測しています。たぶんお兄ちゃん、彼女できたなって。アンナのスルドイ視線は、お兄ちゃんにもちゃんと向いていたのでした。


 アンナというか、著者のミリさんの視点は「女の子」です。気にしなければ見逃しちゃうようなちょっとしたところを拾ってちょっとシニカルででも、いいところだってしっかり見ています。

 ミリさんの言葉づかいって特徴があって、それはアンナの口調になっていてもしかするとそれが気になる、って人もいるかもしれませんが今回はうまくマッチしてるんじゃないかな。


 日常というミクロと星というマクロがうまく組み合わされている14歳の日常の物語です。

 (しろいまちこ)

『アンナの土星』

益田ミリ メディアファクトリー  2009年

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2010年

9月

15日

芋粥

 

 今、アイスバーが食べたいとは思いませんか? ソーダ味で、中にラムネが入っているようなやつが。

 もし食べたいと思ったのなら、今すぐ、それが無理でも今日中にはコンビニへ買いに行くことをおすすめします。長い間の夢が叶うのが必ずしも幸せだとは限りませんから。

 

 ぼくがおすすめする芥川龍之介『芋粥』という話は、そんな話です。

 平安時代のとある侍が主人公なのですが、彼は貧弱な性格と見た目から仲間たちからバカにされています。そんな仲間からの嫌がらせにただおどおどしている彼にも、一つだけどうしても叶えたい夢がありました。

 それは、芋粥をお腹いっぱい食べてみたいというものです。芋粥というのは山芋を甘く煮たもので、当時では貴重なものだったため、主人公のような対してくらいの高くない侍には、ほとんど口にすることが出来ないものでした。

 

 しかしある日ひょんなことからその夢が実現してしまいます。けれど結末は、決して幸せなものではなかったのです。

 

 この話はあまり長くなく、主人公の気持ちにも共感しやすくて、とても読みやすい作品です。軽い気持ちで読んでみてください。きっと心に残る話になると思います。

 

(小林兆太/中三)

「芋粥」芥川龍之介 1916年

 

『羅生門 鼻 芋粥 偸盗』所収(岩波文庫)

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